ヨーロッパ人はミイラを粉にして飲んでいた──万能薬「ムミア」と偽造ミイラ産業の闇

古代・奇妙な医療

中世のヨーロッパの薬局には、粉末にしたエジプトのミイラが当たり前のように並んでいた。

これは都市伝説でも誇張でもない。フランシス・ベーコンが処方に用い、イングランド王チャールズ2世が自分だけのレシピを持っていた。ヨーロッパの上流階級から庶民まで、何百年にもわたって「ミイラの粉」を薬として飲み続けた。ある時代には、ミイラはヨーロッパで最も重要な輸入薬品の一つだった。

では、古代エジプトの死者はなぜ12世紀のヨーロッパ人の胃の中に収まることになったのか。

1. 「ミイラ」という言葉の起源——アラビア語から来た薬の名前

「ミイラ」という言葉の起源を辿ると、意外な事実が浮かび上がる。

現代日本語の「ミイラ」はポルトガル語の「mirra(ミルラ)」、あるいはオランダ語の「mummie」から来たとされるが、その大元はアラビア語の「mummiya(ムミーヤ)」だ。

ムミーヤとは何か。ビチューメン(天然アスファルト)、つまり地面から湧き出る黒い粘性の鉱物油のことだ。

古代から中東では、ビチューメンは傷の消毒や防水材として使われてきた。イスラム医学ではこれを薬として用いる処方があり、打撲・骨折・皮膚疾患に効果があるとされた。交易路を通じてこの知識がヨーロッパに入ったとき、ヨーロッパ人は「ムミーヤ(ビチューメン)を含む物質」をまとめて「mummia(ムミア)」と呼ぶようになった。

ここで誤解が起きた。

エジプトのミイラを調べたヨーロッパの商人や医師たちが、その表面に黒光りする物質を見つけた。防腐処理に使われた樹脂や天然油脂が酸化・変質したもので、たしかにビチューメンに似て見えた。

「これこそがムミアだ」

こうしてエジプトのミイラそのものが「薬(ムミア)」と同一視されるようになり、「mummia(ミイラの粉)」はヨーロッパの薬局で一大ブランドへと成長した。言葉の誤解が、数百年にわたる奇妙な「医薬品」を生み出したのだ。

2. 万能薬「ミイラ薬(Mumia)」の処方箋——何に効くとされたか

ミイラ薬はどのように使われたのか。

当時のヨーロッパの医師たちは、ミイラを様々な形で処方した。ミイラの粉末をそのまま飲む、油に溶かして塗布する、ワインに混ぜて服用するなど、方法は多様だった。

症状・疾患ミイラ薬の用法
出血・打撲・骨折粉末を患部に塗布、または内服
頭痛・てんかん少量を水またはワインで服用
麻痺・卒中油に溶かして塗り込む
胃腸疾患粉末を食物に混ぜる
毒への解毒緊急時に内服

なぜミイラが万能薬と考えられたのか。背景には当時の医学理論がある。

ガレノスの医学では、物質の「性質(quality)」が体液のバランスを調整すると考えられていた。ミイラはその乾燥した性質と、防腐のために使われた樹脂・スパイスの混合物を含むとされたため、「腐敗を止め、体を修復する」という論理が成立した。

また「古いものほど効能が高い」という当時広く信じられた考え方も、何千年もの時を経たミイラの権威を高めた。

さらに重要なのは、プラセボ効果と確証バイアスだ。ミイラ薬を飲んで回復した患者の話は広まり、効かなかった例は「飲み方が悪かった」「別の病気だった」と解釈された。効くという信念が、効くという体験を生んだ。

3. 需要過多が生んだ偽造ミイラ産業

ミイラへの需要が高まるにつれ、深刻な問題が生じた。

エジプトのミイラは有限だ。古代エジプト人がどれほど多くの人々をミイラにしたとしても、数千年分の埋蔵量をヨーロッパ全土の薬局が消費すれば、いずれ底をつく。

そして16世紀頃から、偽造ミイラの製造が始まった。

最初は比較的「無難な」偽造だった。処刑された犯罪者の死体を砂漠の熱で乾燥させ、樹脂を塗って本物らしく仕上げる。ペスト(黒死病)で亡くなった遺体を集めて加工する。こうした「偽造品」が北アフリカからヨーロッパへと輸出された。

ミイラを解体して粉末を作る16世紀ヨーロッパの薬商人
16世紀、ヨーロッパの薬商人はエジプトのミイラを粉砕して薬として販売した

しかし需要はさらに拡大した。

フランスの外科医アンブロワーズ・パレは1585年に、戦慄すべき実情を記録している。「私はアレクサンドリアの商人から聞いた。彼らは生きた人間を殺し、ミイラを作っていると」

16〜17世紀のアラブおよびエジプトの商人の中には、旅人や奴隷を砂漠に連れ出して殺害し、その遺体を乾燥させて「ミイラ」として販売した者がいたとされる記録が複数残っている。古代エジプトの遺体保存技術が生み出した信仰が、生きた人間の命を奪う供給チェーンを生み出したのだ。

もちろんすべての供給者がそうだったわけではなく、大半は墓荒らしや死体の転用だった。しかしパレのような当代最高の外科医がこの問題を公に訴えるほど、偽造と倫理的な問題は深刻だった。

4. フランシス・ベーコンとチャールズ2世も愛用した

ミイラ薬を好んだのは無知な民衆だけではなかった。

フランシス・ベーコン(1561〜1626)——「知は力なり」の言葉で知られ、近代科学的方法論を確立した哲学者——は、ミイラを「血を止める効果がある」として処方に取り入れていた。彼の著作にはミイラの薬効についての記述が見られ、当時の知識人層がいかにこれを「真剣な医療」として受け止めていたかが伝わる。

チャールズ2世(1630〜1685)——イングランド王——はさらに徹底していた。彼はミイラの粉と酒精(アルコール)を混合した処方を「キング・チャールズのドロップ」と名付け、自分専用の秘薬として愛用した。この薬は気絶・卒中・疲労回復に効くとされ、チャールズは側近にも勧めていたという記録が残る。

また16〜17世紀のヨーロッパの著名な薬局方(薬の公式リスト)には、ミイラが堂々と掲載されていた。

国・文書掲載年記載内容
ドイツ薬局方1542年Mumia(ミイラ)を薬品として収録
フランス薬局方17世紀出血・打撲への適応を記載
イギリス薬局方18世紀初頭一部の版にミイラ関連記述が残存

貴族や知識人がミイラ薬を積極的に使ったという事実は、これが「迷信」や「無知」の産物ではなく、当時の最先端医療だったことを示している。そしてその「最先端医療」が、エジプトの墓から盗まれた何千年も前の人の身体だったのだ。

5. いつ、なぜミイラ薬は廃れたのか

ミイラ薬への信仰はゆっくりと、しかし確実に崩れていった。

最初に声を上げたのはアンブロワーズ・パレだった。16世紀のフランス最高の外科医として知られる彼は、ミイラ薬の効果を実験的に検証し、批判した。「処刑された犯罪者の死体でも、砂漠で干からびた旅人の死体でも、同じように『ミイラ』として売られている。古代エジプトの遺体と何が違うというのか」

この問いは本質的だった。ミイラの「効能」が古代エジプトの防腐技術や霊的な力に由来するならば、昨日殺された犯罪者の乾燥死体では意味がない。しかし実際には両者は区別されずに流通していた。

続いて18世紀、啓蒙主義の台頭が決定的な打撃を与えた。理性と証拠に基づく医学が普及するにつれ、「古いものは強力」という信念や四体液説への懐疑が広がった。医師たちは「ミイラ薬が効いた証拠はどこにあるのか」と問い始めた。

同時に、偽造品の蔓延もミイラ薬の権威を失墜させた。何を買っても「本物のエジプトミイラ」かどうか確認できない以上、薬としての信頼性は根拠を失う。

19世紀に入り、化学・生理学・細菌学が急速に発展すると、ミイラ薬は医学書から静かに姿を消した。

6. 現代に残る痕跡——「ミイラ」絵具

ミイラの意外な用途として、多くの人が知らない話がある。

「ミイラ色(Mummy Brown)」と呼ばれる絵具が、かつて存在した。

これは比喩ではない。文字通り、エジプトのミイラを原料とした絵具だ。ミイラに含まれるビチューメン(アスファルト)や亜麻布、樹脂が混合されることで、独特の温かみのある茶褐色が生まれる。この色は油絵具として19世紀のヨーロッパで流通し、特にラファエル前派の画家たちに好まれた。

ラファエル前派の主要画家エドワード・バーン=ジョーンズは、自分が使っていた絵具がミイラから作られていることを知り、衝撃を受けた。「我々は人間の遺体に気づかずに描いていたのだ」と語り、残っていたチューブを庭に埋葬したという逸話が残っている。

ミイラ色は20世紀半ばまで一部のメーカーが製造を続けたが、原料の確保が困難になり、次第に生産終了となった。現在では化学合成による類似色(マミーブラウン)が代替として使われている。

薬として飲まれ、絵具として塗られ——エジプトの死者たちは想像もしなかった形でヨーロッパ文明の中に溶け込んでいったのだ。

まとめ:古代の保存技術が生んだ皮肉な流通路

この話が教えてくれることは、医学の歴史における「権威」の危うさだ。

古代エジプトの防腐技術は、死者を永遠に保存するための宗教的行為だった。しかしその技術が「腐らない物質を生み出す」という評判を生み、イスラム医学の「ムミーヤ(ビチューメン)」との混同を経て、ヨーロッパで「万能薬」に変貌した。

フランシス・ベーコンもチャールズ2世も愚かではなかった。彼らは当時の最善の知識に従っていた。ところがその「最善の知識」が、何千年前の人間の遺体を粉にして飲む習慣を正当化していた。

科学的根拠のない「権威ある医療」が、いかに長く生き延びることができるか。

この問いは現代にも向けられている。今この瞬間も、科学的検証が不十分なまま「効果がある」と信じられている健康法や薬品は、世界中に無数に存在する。

ミイラを粉にして飲んでいた人々を笑うのは簡単だ。しかし100年後の人々は、私たちが今信じている何かを見て、同じように首をかしげるかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました