壊血病・脚気・ペラグラ・くる病・ペラグラ——いずれもかつては原因不明の難病でしたが、その正体は「食事中に不足する微量栄養素」でした。船乗りを苦しめたビタミンC欠乏、日本海軍を悩ませた脚気、アメリカ南部で精神病院を埋めたペラグラ。栄養と疾病の関係が解明されるまでには、長い試行錯誤と医学界の抵抗がありました。食と病が結びつくまでの道のりを、時代背景とともに描きます。
栄養と疾病の歴史 3500年前の処方は「目に肝臓」だった——鳥目・ヤツメウナギ・イシナギ、ビタミンAの光と毒
古代エジプトでは夜盲症に焼いた牛の肝臓の汁を目に用いた。理屈を知らないまま3500年前にビタミンA不足の正解を出していた話から、鳥目とヤツメウナギ、デンマークのバター、そして5gで中毒するイシナギの肝臓まで。
栄養と疾病の歴史 発見から13年後、脚気の死者は過去最多になった——鈴木梅太郎とオリザニン、「世界初のビタミン」の本当の壁
1910年、鈴木梅太郎は米ぬかから脚気に効くオリザニン(ビタミンB1)を取り出した。だが脚気の死者が最多になったのは13年後の1923年。「翻訳で一文が落ちた」逸話の真偽と、発見が人を救うまでの本当の壁、そして米を使わない理研酒の話。
栄養と疾病の歴史 「日光に当たりなさい」はどこから来たのか——くる病・肝油・ビタミンDの物語
なぜ昔の子どもは肝油ドロップを舐め、大人は「日光に当たりなさい」と言ったのか。背後には骨が曲がる病・くる病との百年の格闘がある。日本で「貧しいのにくる病が少ない」と気づいた宣教医パームの日光説から、ビタミンD発見まで。
栄養と疾病の歴史 医師が尿を舐めていた時代——糖尿病2000年、「甘い尿」を追いかけた診断の歴史
血糖値も試験紙もない時代、医師は自分の舌を検査機器として使っていた。17世紀の医師が残した「驚くほど甘い」という一文から、diabetes mellitus という病名の語源まで。2000年かけて「甘い尿」を追いかけた糖尿病診断の歴史。
栄養と疾病の歴史 1日200グラムの生レバーが命を救った——悪性貧血とビタミンB12発見の物語
1926年ボストン。余命数か月と告げられた悪性貧血の患者に出された処方は、「生のレバーを1日200グラム食べること」だった。不治の病が食事だけで治った——1934年のノーベル賞と、ビタミンB12発見へとつながる発見の物語。
栄養と疾病の歴史 山の村の「首の腫れ」——ヨウ素欠乏症と、塩が救った数千万人の脳
19世紀スイスの山村では、多くの村人の首に大きな瘤があり、一部の子どもは「クレチン」と呼ばれた。原因は微量元素ヨウ素の欠乏。解決策は驚くほど単純で安価だった——塩にヨウ素を混ぜること。数千万人の脳を救った公衆衛生策の物語。
栄養と疾病の歴史 「王の病」と呼ばれた贅沢病——痛風2500年の歴史
神聖ローマ皇帝カール5世は、痛風の発作で歩くことも書くこともできなくなり退位した。ヘンリー8世、フランクリン、ジェファーソン——なぜ権力者ばかりが倒れたのか。「王の病」と呼ばれた理由を2500年分たどる。
栄養と疾病の歴史 病気を診ずして病人を診よ——高木兼寛と脚気、そして東京慈恵医科大学の誕生
宮崎出身の海軍軍医・高木兼寛は、龍驤号と筑波号の比較航海というデータで「脚気の原因は食事だ」と証明した。しかし陸軍は「細菌感染説」を信じて拒否し、日露戦争で約27,000人が脚気で死亡。高木が創設した東京慈恵医科大学に今も生きる「病気を診ずして病人を診よ」という言葉の誕生と、故郷・宮崎への医師研修という現代への連鎖を辿る。
栄養と疾病の歴史 トウモロコシが精神病院を埋めた——ペラグラとゴールドバーガーの食事革命
1900年代初頭のアメリカ南部、精神病院は「謎の狂気」の患者で溢れていた。皮膚炎・下痢・精神症状・死——「4つのD」。感染症として隔離された何万人もを殺していたのは菌ではなく、トウモロコシに偏った食事だった。
栄養と疾病の歴史 船乗りの壊血病が栄養学を生んだ──東インド会社のレモン汁と185年越しのビタミンC発見
「レモン汁を飲めば治る」と分かっていた。しかし「なぜ治るのか」が分かるまでに150年かかった。歯茎が腐り、古傷が開き、全身が痛んで死ぬ——海軍の作戦と帝国の盛衰を左右した壊血病と、現代栄養学の誕生をたどる。