脊髄に触れることへの恐怖——脊椎外科が「禁断の領域」から標準治療になるまで

外科・手術の歴史

脊髄に触れることへの恐怖——脊椎外科が「禁断の領域」から標準治療になるまで


1814年、ロンドンの外科医ヘンリー・クライン(Henry Cline)は、脊椎損傷で下半身不随になった患者の椎弓を切除する手術を試みた。

患者は3日後に死亡した。

この一件は長く「脊椎手術は死を招く」という象徴として語られた。脊髄に触れることは、19世紀初頭においてほぼ自殺行為に等しかった。麻酔はなく、消毒の概念もなく、そもそも「なぜ足が動かなくなるのか」という解剖学的理解さえ曖昧だった時代のことだ。


1. ヒポクラテスの「牽引台」——2500年前の脊椎治療

脊椎への医療的介入の記録は古代ギリシャにまで遡る。

ヒポクラテス(紀元前460〜370年頃)は著作『関節について』の中で、スカムノン(scamnum)と呼ばれる木製の牽引台を用いた脊椎変形の治療法を記述している。患者を台に縛りつけ、頭部と足部を反対方向に引っ張りながら、突出した脊椎に直接圧力をかける——現代の牽引療法の原型だ。

ガレノス(129〜216年)はさらに一歩進み、動物実験で脊髄の異なるレベルを切断することで、脊髄が脳と身体をつなぐ神経の幹道であることを実験的に示した。脊椎の高位で切断すれば四肢すべてが、腰部なら下肢だけが麻痺することを確かめた——現代の神経学的診察の基礎となる知見を、2世紀の医師がすでに把握していた。

7世紀のビザンツ帝国の外科医パウルス・アエギネタは、脊椎骨折への椎弓切除術を文書で記述・実施した記録が残っており、椎弓切除の概念自体は古代にルーツがある。


2. 1800年間の停滞、そして「最初の成功」

問題はその後の1800年間だった。

中世の外科医たちは脊髄に触れることを避け続けた。「触れれば死ぬ」という経験則は正しかった——麻酔がなければ手術中の疼痛と出血でショック死し、消毒がなければ術後の感染で敗血症になる。19世紀前半の脊椎手術の死亡率は記録によって異なるが、成功例は指で数えられる程度だった。

転機は1828〜29年頃、アメリカの外科医アルバン・スミス(Alban Smith)が椎弓切除術に「成功」したことだ。神経学的症状のある患者に対して椎弓を切除し、患者が生存した——これが近代外科として記録された最初の椎弓切除成功例とされる。手術報告は North American Journal of Medicine and Surgery に掲載された。

この報告の意義は技術的なものではなく、心理的なものだった。「脊椎を手術しても、患者は死なないかもしれない」という前例の存在そのものが、後続の外科医に踏み台を与えた。


3. 脊椎固定術の誕生——1911年、独立した二人の外科医

20世紀に入ると、脊椎外科は大きく動き出す。

1911年、ニューヨークの整形外科医ラッセル・ヒッブス(Russell Hibbs)フレッド・アルビー(Fred Albee)が、互いを知らずにほぼ同時期に脊椎固定術(spinal fusion)を発表した。脊椎結核や側弯症の患者に対して、隣接する椎骨を骨移植で癒合させて固定するという術式だ。ヒッブスは1911年5月27日付の New York Medical Journal に、アルビーは腓骨からの骨移植法で独立した報告を発表した。

後世にはヒッブスの術式が標準となったが、1911年という同じ年に二人の外科医が独立して到達したという事実は、この技術が「時代の要請」だったことを示している。


4. 見えない病変を見る——造影脊髄撮影の登場

手術より先に必要だったのは「どこが悪いのか」を正確に把握する技術だった。

1921年、フランスの神経科医シカール(Jean-Athanase Sicard)とフォレスティエ(Jacques Forestier)が、ヨード化油(リピオドール、Lipiodol)を脊髄腔内に注入してX線撮影する脊髄造影(myelography)を確立した。これにより、脊髄腔内の腫瘍や椎間板の突出が初めて画像として可視化されるようになった。

脊椎外科の歴史において「見えない場所を切る」から「見て切る」への転換は決定的だった。外科医はこの技術によって、どの椎間板が問題なのか、神経がどこで圧迫されているのかを手術前に把握できるようになった。


5. 1934年のNEJM論文——「腰痛の犯人」が特定された日

1934年8月2日、New England Journal of Medicine に一本の論文が掲載された。

著者は神経外科医ウィリアム・ミクスター(William Jason Mixter)と整形外科医ジョセフ・バー(Joseph S. Barr)。タイトルは「椎間板の破裂と脊柱管への関与(Rupture of the Intervertebral Disc with Involvement of the Spinal Canal)」。

それまで「座骨神経痛」「腰部リウマチ」「筋骨格性疼痛」などと漠然と呼ばれていた症状の原因が、椎間板の突出による神経根の圧迫であることをこの論文は証明した。ミクスターは1932年に最初の手術を実施しており、その成績を2年かけて論文化した。

この発表以後、「椎間板ヘルニアの外科的治療」は確立した概念となった。腰痛と下肢痛の組み合わせを持つ患者への治療アプローチが、根本から変わった瞬間だった。


6. 椎弓根スクリューの登場——ロワ=カミーユの革新

1963年、パリの整形外科医レイモン・ロワ=カミーユ(Raymond Roy-Camille)は、椎体の後方から椎弓根(pedicle)を通してスクリューを刺入し、金属プレートで固定する術式を臨床で使い始めた。1970年、フランスの Presse Médicale 誌に初めて論文として発表された。

それまでの脊椎固定術は骨移植による癒合を待つ必要があり、術後の固定が不安定で、患者は長期のギプスや臥床を強いられた。椎弓根スクリューは脊椎を金属で直接固定するため、即時の安定性が得られ、早期離床が可能になった。

この技術は現代の脊椎手術の基盤となっており、腰椎固定術のほぼすべてに椎弓根スクリューが使用されている。


7. 日本発の世界標準——椎弓形成術(laminoplasty)

脊椎外科の歴史において、日本が世界に先駆けた技術がある。

椎弓形成術(laminoplasty)だ。頸椎症や後縦靱帯骨化症(OPLL)など頸髄を圧迫する疾患に対して、椎弓を切除するのではなく「扉を開けるように持ち上げて」脊柱管を広げる術式で、1978〜79年頃に日本の外科医たちが開発した。

椎弓切除術では後方支持組織を大きく損なう問題があったが、椎弓形成術はその弱点を克服した。この術式は現在、頸椎後方除圧の標準術式として世界中で使用されており、「日本が生み出し、世界が採用した脊椎手術」として医学史に刻まれている。

日本初の脊椎手術は1911年、宮川春吉による頸椎神経鞘腫摘出術とされる。1974年には「脊椎外科研究会」が発足し(2001年に現在の日本脊椎脊髄病学会に改称)、日本独自の発展を続けた。


8. 内視鏡手術——「切らずに治す」時代へ

1997年、フォーリー(Kevin Foley)とスミス(Michael Smith)MED(Microendoscopic Discectomy、顕微内視鏡下椎間板切除術)を発表した。18mmの作業管を刺入し、内視鏡映像を見ながら椎間板ヘルニアを切除する術式で、従来の開放手術に比べて筋肉へのダメージが劇的に少ない。

2000年代以降、MEDは日本をはじめ世界に普及した。現代の低侵襲脊椎手術はさらに進化し、直径数mmのポートを使った経皮的内視鏡手術(PELD/FESS)も一般化しつつある。

「脊椎を切り開く」から「穴をあけて覗く」へ——外科医の手の届く領域は、テクノロジーとともに狭まり続けている。


まとめ:2000年かけて「禁断の領域」は開かれた

ヒポクラテスの牽引台から、内視鏡下の低侵襲手術まで——約2500年。

脊椎外科の歴史は、恐怖の克服の歴史だ。1814年のクラインが失敗し、1829年のスミスが成功し、1934年のミクスターとバーが「原因」を特定し、ロワ=カミーユが脊椎を金属で固定し、日本の外科医たちが椎弓形成術を生み出した。

脊髄は今も繊細な構造物だ。しかし外科医はもはや「触れることへの恐怖」ではなく、「どう触れるか」という技術の追求の中にいる。


筆者注

整形外科の中でも脊椎外科は独立した世界がある。一般的な整形外科医として下肢人工関節を専門にしていると、脊椎の手術は専門家に任せることが多い。とはいえ、脊椎疾患は外来で毎日のように向き合う。腰痛、頸部痛、神経根症状——整形外科の外来患者の大半は何らかの形で脊椎が絡んでいる。

椎弓根スクリューの技術がロワ=カミーユによって1963年に開発され、最初の論文発表が1970年であることは興味深い。臨床で使い始めてから7年後に発表というのは今では考えにくいが、当時の外科医が何年もかけて症例を積み、自信を持って公表したということだろう。

椎弓形成術が日本発の技術だというのは、整形外科医として誇りに思う。後縦靱帯骨化症(OPLL)は日本人に多い疾患で、この疾患への対応策として日本が世界に先駆けた術式を生み出した背景には、日本の脊椎外科医が日常的に向き合ってきた現実がある。疾患の多い地域の外科医が、その解決策を最初に開発する——これは医学史の中で繰り返されるパターンだと思う。

椎弓形成術には大きく分けて2種類ある。黒川法(両開き式)と平林法(片開き式)だ。どちらも日本発の術式で、それぞれに支持者がいる。当院でどちらを採用しているかについてはノーコメントにしておく——書いてしまうと、所属大学が特定されてしまう可能性があるためだ。

脊椎外科における低侵襲化の進歩は目覚ましい。MEDが1997年に発表されて以来、経皮的内視鏡手術はさらに発展し、局所麻酔下での手術も現実のものになりつつある。この分野の進歩の速度は、整形外科の中でも特に速い印象がある。


参考資料

  • Mixter WJ, Barr JS. (1934). “Rupture of the Intervertebral Disc with Involvement of the Spinal Canal.” *New England Journal of Medicine*, 211, 210–215.
  • Roy-Camille R, Roy-Camille M, Demeulenaere C. (1970). “Ostéosynthèse du rachis dorsal, lombaire et lombo-sacré par plaques métalliques vissées dans les pédicules vertébraux et les apophyses articulaires.” *Presse Médicale*, 78(32), 1447–1448.
  • Foley KT, Smith MM. (1997). “Microendoscopic discectomy.” *Techniques in Neurosurgery*, 3, 301–307.
  • Yoshida M. et al. (2019). “History of Spinal Surgery in Japan – From the Pioneering Period to the Progressive Era (1911–2017).” *Neurospine*, 16(3), 602–619. PMC6603833
  • Ajayi NO, et al. (2024). “A Comprehensive Review of the Historical Description of Spine Surgery and Its Evolution.” PMC10953613
  • Winn HR. (2016). *Youmans and Winn Neurological Surgery*, 7th ed. Elsevier.
  • 日本脊椎脊髄病学会 (2024). 「学会の歴史」. ssl.jssr.gr.jp

⚠️ 免責事項:本記事は医学史・医療史の教育・情報提供を目的としたものであり、特定の疾患の診断・治療・予防を目的とした医療アドバイスではありません。健康上の問題については、必ず医師・医療機関にご相談ください。

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