鉄の箱の中に生きる——鉄の肺と、ポリオと戦った72年間

医療器具・技術の歴史

鉄の箱の中に生きる——鉄の肺と、ポリオと戦った72年間


2024年3月11日、テキサス州ダラスでポール・アレクサンダーが78歳で亡くなった。

彼は1952年から死の直前まで、全身を金属製の円筒に収めて眠り、弁護士として働き、本を書き、TikTokに動画を投稿し続けた。72年間、「鉄の肺」の中に生きた男だった。


1. バキュームクリーナー2台から生まれた装置

1928年、ハーバード大学のフィリップ・ドリンカー(Philip Drinker)とルイス・アガシー・ショウ(Louis Agassiz Shaw)は奇妙な装置を作った。

気密構造の金属製箱に人を寝かせ、首だけを外に出す。箱の内側の気圧を電動ポンプで変動させることで、肺を受動的に膨らませたり縮ませたりする——陰圧換気(negative pressure ventilation)だ。自然な呼吸は、横隔膜が収縮して胸腔内を陰圧にすることで空気が流れ込む。鉄の肺はその物理を、箱全体で模倣した。

動力源はバキュームクリーナー2台のポンプを流用したものだった。初号機はハーバード医学部の機械工場とブリキ職人の手で作られた、極めて手工業的な装置だった。

1928年秋、ボストン小児病院で最初の患者に試みられた。当時8歳のバーサ・リチャード(Bertha Richard)——ポリオで呼吸筋が麻痺した少女だ。装置に入って15分後、彼女の顔色が戻り「アイスクリームが食べたい」と言った。しかし5日後、肺炎で亡くなった。鉄の肺は呼吸を肩代わりできたが、感染症を防ぐ手段ではなかった。


2. 廉価版の登場——合板で作った命綱

1930年代、高価なアメリカ製の鉄の肺が普及の壁になっていた。

1937年、オーストラリアの発明家エドワード・ボス(Edward Both)が解決策を持ち込んだ。南オーストラリア州でポリオが流行し、保健省から安価な代替品を依頼されたボスが設計したのは、合板(plywood)製の鉄の肺だった。コストはアメリカ製の約20分の1——当時のドリンカー装置が1台数百ドル以上だったのに対し、約100ポンドで製造できた。

資産家で自動車メーカーのヌフィールド卿(Lord Nuffield)は自社工場の一部をこの製造に開放し、英連邦全土の希望する病院に1,700台以上を無償配布した。命を救う機械が、木工所で量産された時代だった。


3. 1952年——ポリオの頂点

1952年、アメリカで史上最大のポリオ流行が起きた。

感染者57,879人、死者3,145人。この数字は21世紀の日本人には実感しにくいが、当時のアメリカで「夏が来るのが怖い」と言われた季節病の頂点だった。水泳プールが閉鎖され、公共の集まりが禁じられ、親たちは子どもを外に出すことを恐れた。

ポリオウイルスが脊髄の運動神経細胞を破壊すると、その支配域の筋肉が麻痺する。呼吸筋に及べば——補助なしでは呼吸できなくなる。鉄の肺の需要は爆発的に増え、1959年時点でアメリカ国内に約1,200人が鉄の肺で生活していた。

この年、6歳のポール・アレクサンダーはダラスでポリオに感染した。


4. コペンハーゲンの奇跡——1,000人の手が肺を動かした

1952年の夏、同じ頃にデンマークのコペンハーゲンでも大流行が起きた。そしてこちらの出来事が、現代の集中治療医学の歴史を変えた。

コペンハーゲンのブレグダム病院(Blegdam Hospital)は呼吸麻痺患者を次々と受け入れたが、病院が持つ鉄の肺はわずか1台だった。流行最初の3週間で呼吸麻痺患者31人中27人が死亡——致死率87%超。

そこに麻酔科医ビョルン・イプセン(Bjørn Ibsen)が現れた。

イプセンの提案は従来の発想を覆すものだった。鉄の肺で外側から陰圧をかけるのではなく——気管切開をして、チューブから直接空気を押し込む。陽圧換気(positive pressure ventilation)だ。12歳の少女に試みられた最初の陽圧換気は成功し、致死率は約40%まで低下した。

しかし問題が残った。装置が足りない。

解決策は人海戦術だった。病院は地域の医学生・歯科学生を緊急動員し、約1,000人が交代で患者の呼吸バッグを24時間手で押し続けた。学生たちは教科書を片手に、もう一方の手でバッグを規則的に圧迫し続けた——時に16時間以上。

この経験が1953年12月、世界初の集中治療室(ICU)の誕生につながった。鉄の肺の「不足」が、陽圧換気とICUという現代医療の根幹を加速させた。


5. 鉄の肺の中の日常

鉄の肺の中での生活は、想像を超える制約の連続だった。

呼吸のタイミングで話す:呼気のときだけ声が出るため、文の途中で次の呼気まで待つ必要がある。長い文章は分割して、息のリズムに合わせて語る。

食事は45分間の「外出」で:訓練を積むと、短時間であれば鉄の肺から出られるようになった。鉄の肺の外での食事は、そういう「外出時間」に行われた。

読書は誰かがページをめくる:頭に取り付けた小さな鏡で視野を広げ、介助者がページをめくる。かゆみを掻く、鼻をかむ、髪を梳かす——すべてが誰かの手を必要とした。胴体側面の円形ポートから腕を入れて処置した。

カエル呼吸(frog breathing):口と咽頭を使って、空気を肺に「押し込む」特殊な呼吸法がある。ポール・アレクサンダーはこれを習得し、限られた時間であれば鉄の肺なしで呼吸することができた。この技術が彼に、装置の外の世界を与えた。


6. ポール・アレクサンダー——72年間の軌跡

1946年生まれのポール・アレクサンダーは、1952年のダラスでポリオに感染した。6歳だった。

高熱、首の硬直、そして麻痺。両親に病院に連れて行かれた彼が次に気づいたときには、首だけを外に出した状態で金属製の円筒の中にいた。

鉄の肺の中で、ポールは本を読み、学校の授業を受け、友人と会話した。20代に入ってからサザン・メソジスト大学(SMU)に進学し、キャンパスの寮に鉄の肺を持ち込んで経済学部を卒業した。さらにテキサス大学オースティン校のロースクールでJD(法務博士)を取得し、1986年に弁護士資格を得た。

後年、彼はこう語った。「この装置がなければ、ここにいない。この装置があったから、ここにいる」。

2020年には自伝を出版し、2024年1月にはTikTokアカウントを開設して死亡直前まで33万人以上のフォロワーに発信し続けた。2024年3月11日、78歳で亡くなった。直前にCOVID-19に感染していた。


7. 消えゆく機械——部品が存在しない

ポール・アレクサンダーの死後、現在も鉄の肺を使い続けているのはマーサ・リリアード(Martha Lillard)だ。1948年生まれのオクラホマ州の女性で、1953年に5歳でポリオに感染した。

マーサが直面している問題は、医療的なものではない——機械のメンテナンスだ。

J.H. エマーソン社が鉄の肺の生産を終了したのは1970年。医療機器メーカーのレスピロニクス社が修理・部品供給を終了したのは2004年3月だった。それ以来、鉄の肺の維持は使用者自身と有志の技術者に委ねられている。

首周りのシール(カラー)は数ヶ月で劣化し、ベルトは数週間で摩耗する。マーサはカラーの在庫を可能な限り買い占めたが、もはや製造されていない。廃棄された同型機から部品を流用し、DIYで代替品を作る——現役の医療機器が、こうした形でかろうじて生き続けている。


8. ポリオワクチンと「鉄の肺の時代」の終わり

1955年、ジョナス・ソーク(Jonas Salk)の不活化ポリオワクチン(IPV)が承認された。翌年から接種が始まり、年間3万5千件以上あった感染者は1961年に161件まで激減した。

日本では1960年代初頭にポリオが急増し(1960年に5,000人超)、1961年にソ連から経口ポリオワクチン(OPV)を緊急輸入する決断が下された。日本への鉄の肺第1号機は1951年にアメリカから寄贈されており、1960年代には国内に100台以上が導入されていたが、ワクチン普及とともにその役目を終えた。

鉄の肺の時代は、ワクチンによって閉じられた。


まとめ:不自由の中に生を刻んだ機械

鉄の肺は美しい機械ではない。人を金属の箱に閉じ込め、機械のリズムで呼吸させる。しかしその箱の中で、人々は学び、働き、笑い、生きた。

ポール・アレクサンダーは弁護士になった。マーサ・リリアードは今も生きている。

「助かった命」の話として語られがちな医療史において、鉄の肺の物語は少し違う。助かっただけでなく、その後を「どう生きたか」まで含めて初めて完成する物語だ。


筆者注

リハビリテーション医の立場から言うと、「機械に依存して生きること」は現代でも珍しくない。人工呼吸器を使いながら自宅で生活する患者、電動車椅子なしでは移動できない患者——機械と身体が一体になって「生活」が成立する。

鉄の肺はその極端な例だが、本質は同じだ。医療機器は「治す」だけでなく「生きることを可能にする」ためにある。

ポール・アレクサンダーが弁護士として働き、本を書き、SNSで発信した事実は、リハビリテーション医学が問い続けている「機能」と「生活」の違いを、極端なかたちで示している。呼吸機能は鉄の肺に委ねたまま、生活機能は自分で作り上げた——それが彼の72年間だったのだと思う。


参考資料

  • Wikipedia: “Iron lung”, “Paul Alexander (polio survivor)”, “Martha Lillard”, “Both respirator”, “Bjørn Ibsen”
  • NPR (2024). “Paul Alexander, forced into an iron lung by polio in 1952, dies at 78.”
  • Smithsonian Magazine. “How a Polio Outbreak in Copenhagen Led to the Invention of the Ventilator.”
  • Hackaday (2017). “A Callout: Parts For An Iron Lung.”
  • PMC/NIH. “Bjørn Ibsen: What Made Intensive Care So Critical?” (2024)
  • Texas Law News (2024). “In Memoriam: Paul Alexander ’84.”
  • 栄研化学 モダンメディア(2019)「ポリオと人類の歴史」

⚠️ 免責事項:本記事は医学史・医療史の教育・情報提供を目的としたものであり、特定の疾患の診断・治療・予防を目的とした医療アドバイスではありません。健康上の問題については、必ず医師・医療機関にご相談ください。

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