病を「神」として祀った国——疱瘡神と天然痘、日本人の感染症対処法
世界中で天然痘に対抗した民族は多い。しかし「天然痘そのものを神として祀り、丁重に扱って帰ってもらう」という発想を持ったのは、日本人くらいかもしれない。
疱瘡神(ほうそうがみ)——天然痘の流行を引き起こすと信じられた神の存在。日本各地でこの神を祀る神社が作られ、家に「疱瘡神の札」が貼られ、感染した子どもの部屋は赤い布で飾られた。
医療が無力だった時代、人々は感染症をどう「対処」したのか。そしてその「信仰」は、近代医学とどう交差したのか。
1. 天然痘とは何か——「人類最大の殺人者」
天然痘(smallpox)は天然痘ウイルス(Variola virus)による感染症だ。
感染すると2週間の潜伏期を経て、高熱・頭痛・背部痛が始まる。3〜4日後、顔から全身に「痘(あばた)」と呼ばれる発疹が広がる。これが化膿し、かさぶたになり、やがて脱落する——治癒した患者の顔には「あばた(痘痕)」が残る。
致死率は感染者の20〜30%。生き残っても失明・重篤な後遺症が残ることがあった。天然痘による死者は20世紀だけで推定3億人以上とされ、「人類史上最も多くの人を殺した感染症」の一つだ。
そして1980年、世界保健機関(WHO)が「天然痘の根絶」を宣言した。ワクチンによって絶滅させることに成功した唯一の感染症だ。
2. 日本への天然痘上陸——735年の「国難」
天然痘が日本に最初に記録されたのは、735〜737年(天平年間)のことだ。
奈良時代、朝鮮半島から持ち込まれた天然痘が九州に上陸し、全国に広がった。この大流行で死亡した人口は当時の日本の総人口の25〜30%に達したとされる。藤原四兄弟(藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が全員この流行で死亡し、朝廷の政治が一時麻痺した。
聖武天皇が東大寺の大仏(盧舎那仏)建立を命じたのは738年——この天然痘大流行の直後だ。仏の力で疫病を鎮めようという、当時最大規模の「感染症対策」だった。
その後も天然痘は数十年ごとに流行を繰り返した。平安時代の貴族社会でも流行は記録され、鎌倉・室町時代を経て江戸時代に至るまで、天然痘は「定期的にやってくる死神」だった。
3. 疱瘡神の誕生——病を神として「扱う」知恵
繰り返す天然痘の流行に対して、日本人が生み出した文化的な対処法が疱瘡神という観念だ。
天然痘は「疱瘡神という神が村や家にやってきて引き起こす」と信じられた。この神は気まぐれで怒りっぽく、粗略に扱うと猛威を振るうが、丁重に迎えて楽しませ、気分よく帰ってもらえれば被害は軽くて済む——そういう性質を持つとされた。
この発想は、天然痘に対する「恐れ」と「御しようとする意志」の両方を含んでいる。得体の知れない災害を「神格化」することで、人間が「働きかける」余地を作り出したのだ。
疱瘡除けの呪術は多岐にわたった。
- 赤い色で魔を払う:疱瘡神は赤を好む(あるいは赤を嫌うという説もある)とされ、感染した子どもの部屋の壁・天井・家具を赤い布で覆い、赤い玩具を与え、赤い服を着せた。「赤」と天然痘の関係は日本だけでなく、ヨーロッパや中東にも類似の慣習が見られる。
- 疱瘡絵(ほうそうえ):疱瘡神をモチーフにした絵や人形を家に飾り、神をなだめた。鍾馗(しょうき)という中国起源の鬼神も疱瘡除けとして日本に取り入れられた。
- 疱瘡神社への参詣:各地に疱瘡神を祀る神社が作られた。祈願することで感染を防ぎ、感染した場合でも軽症で済むよう祈った。
4. 赤と疱瘡——「赤色療法」の謎
天然痘患者を赤で囲む慣習は、日本独自のものではない。
12世紀のイギリスの医師ジョン・オブ・ガッズデン(John of Gaddesden)は、天然痘にかかった王子を赤い布で包んで治癒させたと記録している。これが中世ヨーロッパで「赤色療法(red treatment)」として広まった。
なぜ赤が天然痘に効くと信じられたのか——近代医学的には根拠がないが、「赤い光が天然痘の膿疱(のうほう)形成を抑制する」という仮説が20世紀初頭に再び注目されたことがある。実験的には赤色光が皮膚の炎症を軽減する効果が示唆されたが、天然痘治療としては確立されなかった。
重要なのは、赤色療法が日本・ヨーロッパ・中東で独立して生まれたという事実だ。これは赤という色が感染症という「見えない恐怖」に対する人類共通の反応を引き出した可能性を示唆している。あるいは天然痘の発疹自体が赤いことへの「共感呪術(like cures like)」的な発想かもしれない。
5. 人痘接種——近代以前の「ワクチン」
信仰的な対処と並行して、日本でもより実際的な方法が試みられた。
中国では10世紀頃から人痘接種(variolation)が行われていた。天然痘にかかった患者の痘瘡のかさぶたを粉末にして健康な人の鼻に吸わせる、あるいは皮膚に塗擦する方法だ。軽症の天然痘に感染させることで免疫を得るという発想——これはジェンナーの牛痘接種(1796年)より数百年早い「予防接種」の原型だ。
日本には18世紀初頭に人痘接種の情報が伝わった。しかし普及は遅れた。理由は複数ある——故意に病を移すという行為への心理的抵抗、接種後に重症化して死亡するリスク(2〜3%の致死率があった)、そして疱瘡神信仰との矛盾(「神の摂理に人が介入してよいのか」という感覚)。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 735〜737年 | 奈良時代の天然痘大流行。人口の25〜30%が死亡 |
| 738年頃 | 聖武天皇、東大寺大仏建立を命令(疫病鎮静の祈願) |
| 平安〜江戸 | 疱瘡神信仰の発展・疱瘡除けの呪術が広まる |
| 18世紀初頭 | 中国の人痘接種が日本に伝来 |
| 1796年 | ジェンナー、イギリスで牛痘接種を開発 |
| 1849年 | 緒方洪庵、大阪に除痘館を開設(牛痘接種の普及) |
| 1870年 | 明治政府が種痘を奨励(後に義務化) |
| 1956年 | 日本国内での天然痘患者が最後の記録 |
| 1980年 | WHO、天然痘の世界根絶を宣言 |
6. 緒方洪庵と近代ワクチンの普及——信仰から医学へ
1849年(嘉永2年)、蘭学者・医師の緒方洪庵(おがたこうあん)が大阪に除痘館(じょとうかん)を開設した。
牛痘接種(ジェンナーのワクチン)の痘苗(ワクチン)はオランダを通じて長崎に持ち込まれていた。緒方洪庵はこれを入手し、自分の子どもたちに接種して安全性を確認した上で、無料で市民に接種を行った。
しかし普及は容易ではなかった。「牛の病を人に移す」という行為への嫌悪感、疱瘡神信仰との葛藤、そして接種後の副反応への恐怖——これらが牛痘接種の普及を妨げた。
緒方洪庵は啓蒙活動を続け、除痘館は多くの医師を育てた。彼の弟子たちが各地に接種を広め、明治政府が種痘を義務化する土台を作った。
疱瘡神を祀って天然痘を「なだめる」文化と、牛の痘瘡で天然痘を「予防する」医学——この二つが日本社会で交差したのが、19世紀中盤の出来事だ。
まとめ:「神として祀る」という対処の合理性
疱瘡神信仰を「迷信」と切り捨てるのは簡単だ。しかしよく見ると、その中には注目すべき要素がある。
疱瘡神を「もてなして気分よく帰ってもらう」という発想は、「感染症は抑え込むより、できるだけ穏やかに経過させよ」という現実的な態度でもある。当時、天然痘に打てる手はほとんどなかった。重症化を防ぎ、体力を落とさず回復を待つこと——これは医学的にも正しい方針だ。赤い布で患部を刺激しないようにする、安静を保つ、患者の気持ちを落ち着かせる——呪術の形をとりながら、それらを実践していた側面もある。
天然痘という「見えない敵」に対して、人類はさまざまな方法で向き合った。科学的なワクチンを開発し、最終的に根絶したのは20世紀の医学だ。しかしその前の1,000年以上、人々は神を祀り、赤で身を囲み、祈ることで、できる限り生き延びようとした。
疱瘡神の社は今も日本各地に残っている——天然痘が根絶された今も、かつてそこにあった恐怖の記憶として。
参考資料
- 富士川游(1969)『日本疾病史』(東洋文庫)平凡社.
- 飯島渉(2000)『ペストと近代中国』研文出版.
- Hopkins, D.R. (2002). The Greatest Killer: Smallpox in History. University of Chicago Press.
- 鈴木則子(2012)『江戸の流行り病——麻疹騒動はなぜ起こったのか』吉川弘文館.
⚠️ 免責事項:本記事は医学史・医療史の教育・情報提供を目的としたものであり、特定の疾患の診断・治療・予防を目的とした医療アドバイスではありません。健康上の問題については、必ず医師・医療機関にご相談ください。

