ノーベル賞を受賞した「脳の手術」が禁止されるまで——ロボトミーという20世紀最大の医療過誤
1941年、23歳のローズマリー・ケネディは父親の命令で手術台に乗せられた。
ジョン・F・ケネディの妹であるローズマリーは、軽度の知的障害と感情の不安定さを抱えていた。活発で笑顔の多い女性だったが、父ジョセフ・ケネディは彼女の「問題行動」を恥じていた。そして当時最も進歩的な治療とされていた手術を選んだ。
手術を担当したのはウォルター・フリーマン——彼にとって、ローズマリーは通算第66番目のロボトミー患者だった。
手術後、ローズマリーは一生涯施設で過ごした。言語能力の大半を失い、歩くことも困難になった。兄JFKがダラスで暗殺されてから41年後、2005年に86歳で亡くなるまで、彼女は二度と家族の前に公の姿を見せることはなかった。
その手術の名を、ロボトミー(lobotomy)という。
1. 「希望のない患者たち」——1930年代の精神医療の現実
ロボトミーが生まれた背景を理解するには、1930年代の精神病院の実態を知る必要がある。
当時の精神科病棟は、文字通り「収容施設」だった。統合失調症・重度のうつ病・強迫症——これらの疾患に対して、有効な薬物療法はなかった。インスリン昏睡療法(大量のインスリンで昏睡させる)、メトラゾール痙攣療法(薬物で痙攣を誘発する)、電気けいれん療法——どれも根拠に乏しく、患者を苦しめた。
精神病院は慢性的に過密状態にあり、患者は拘束衣と独房で管理されていた。「治る見込みのない患者」を前に、精神科医たちは何か劇的な介入を求めていた。
その「解答」を、ポルトガルの神経科医にして元国会議員が持ち込んだ。
2. モニスとは何者か——政治家・外交官・神経科医
アントニオ・エガス・モニス(António Egas Moniz, 1874–1955)——この名前は本名ではない。
本名はアントニオ・カエタノ・デ・アブレウ・フレイレ(António Caetano de Abreu Freire)。「エガス・モニス」とは12世紀にムーア人と戦ったポルトガルの愛国者に因んだ通名であり、学生時代から自ら名乗り続けたものだ。
モニスはポルトガル屈指の名門コインブラ大学医学部に在学中、反王政の学生運動のリーダーとして弁舌を振るい、政治的才能を早くから発揮した。20代には痛風を発症し、両手は徐々に変形・不自由になった(後にロボトミー手術を外科医のアルメイダ・リマに委ねたのも、この手の障害が理由のひとつだった)。
医師であると同時に、モニスは本物の政治家だった。
1908年から1917年まで共和党の国会議員を務め、1911年にリスボン大学神経学教授に就任した。1917年から1919年にかけてはスペイン大使となり、スペイン滞在中に神経解剖学者のカハールと交流を持つ。そして1918年から1919年、スペイン風邪が猛威を振るうパリで行われた第一次世界大戦の講和会議(パリ講和会議)において、ポルトガルの首席代表を務めた。
1920年代に入り政局が乱れ(1926年には軍事クーデターが起きる)、政治の舞台を失ったモニスは医学に専念する。1927年、脳腫瘍患者で世界初の脳血管撮影に成功(53歳)。ノーベル賞への申請を3度行ったがこの業績では受賞を逃した。そして1935年、61歳でロボトミーを実施するに至る。
3. ロボトミー誕生——器具の詳細と第1例目の患者
1935年7月、ロンドンで開催された第2回国際神経学会が、ロボトミー誕生の直接の引き金となった。
学会の目玉は前頭葉機能に関するシンポジウムだった。エール大学の生理学者ジョン・フルトンとカーライル・ヤコブセンが、チンパンジーの前頭葉を両側切除する実験を報告した——攻撃的・不安傾向のあったチンパンジーが「穏やか」になったという内容だ。モニスはここから「ヒトの精神疾患も前頭葉の神経線維切断で改善できる」と確信した。
この学会で、モニスはひとつの偶然の出会いをする。モニスが脳血管撮影の発表を行っていたブースの隣に、アメリカの神経科医ウォルター・フリーマンがいた。フリーマンは後に発がん性が問題となる造影剤(トロトラスト)を用いた脳槽造影を発表していた。共通言語のフランス語で親交を結んだ二人の協力関係は、生涯にわたって続くことになる。
帰国したモニスは、同年11月12日にリスボンで最初のロボトミーを実施した。
第1例目の患者は63歳の女性で、梅毒の既往を持つ元性産業従事者だった。抑うつ・不安・パラノイア(偏執病)・幻覚・不眠などの症状があり、退行期うつ病と診断されていた。コインブラ大学時代のモニスの同期生で、リスボン大学精神科教授のシド(Sobral Cid)が紹介した患者だった。
手術手技の詳細は以下の通りだ。
まず正中線から左右3cmの位置に直径1cmの穿頭孔(burr hole)を2か所ドリルで開ける(所要時間1〜2分)。初期の7例では、その穴から細い穿刺針を前頭葉白質に数cm刺入し、針先からアルコールを注入して脳の白質を凝固させた。深さと方向を変え、両側で10数回繰り返す。
第8例目からは、パリの医療機器メーカーに特注したロイコトーム(leucotome)という器具を使用した。直径3mm・長さ15cmの金属製の筒の内腔にステンレスワイヤーが仕込まれており、前頭葉に挿入した後、先端からワイヤーループを半月状に繰り出す。そのままロイコトームの軸を回転させると、ワイヤーが直径約1cmの球状に白質をくり抜く。両側で計10数か所をくり抜いた。
モニスは最初の20症例を翌1936年3月のパリ医学会で発表し、「治癒35%・良好35%・不変30%」と報告した。しかしその評価基準は恐ろしく曖昧だった。術後の観察期間は平均4.7週間にすぎず、長期的な追跡調査は生涯ついに行われなかった。
4. フリーマンの福音——「ロボトモービル」で全米を巡る男
モニスの学会発表からいち早く成書を入手したフリーマンは、この手術に宗教的とも言える熱狂を持った。
フリーマンは内科医であり、自ら手術はできなかった。手術の担当には脳外科医ジェームズ・ワッツ(James Watts)を迎え、1936年9月に米国初のロボトミーを実施した。その後フリーマンとワッツは穿頭孔の位置を額の生え際付近からこめかみの上方に移し、耳鼻科で用いる粘膜剥離子で白質を扇形に切離する「標準式ロボトミー(standard prefrontal lobotomy)」(1937年)を開発した。
フリーマンはさらにこの手術を改良し、1946年1月に経眼窩的ロボトミー(transorbital lobotomy)を初めて実施した。いわゆる「アイスピック手術」だ。
麻酔なし(電気けいれん療法で意識を失わせる)、手術室不要、所要時間10分。上まぶたを持ち上げ、眼球の上の骨(眼窩板)にアイスピック状の器具を打ち込み、前頭葉の白質を盲目的にかき混ぜる。縫合も不要で、患者は数時間後には歩いて帰宅できた。フリーマンはこれを「精神科の盲腸切除」と呼んだ。
彼は「ロボトモービル(Lobotomobile)」と呼ばれた改造キャンピングカーに手術道具を積み込み、全米の精神病院を巡回した。施設の医師たちに手術を実演し、精神科医でも外科医でもない者にも手術させた。フリーマンが生涯に直接または指導した手術件数は約3,500件(一部の資料では4,000件近くとする)に及ぶ。
米国全体では1936年から1950年代にかけて5万件以上のロボトミーが行われた。英国では約1万件、日本でも1950年代に数百件が実施された。
5. 1949年ノーベル賞——絶頂期の手術
1949年、アントニオ・エガス・モニスはノーベル生理学・医学賞を受賞した。授賞理由は「特定の精神疾患における白質切截術の治療的価値の発見」(for his discovery of the therapeutic value of leucotomy in certain psychoses)だった。
ロボトミーの絶頂期だった。「不治」とされていた精神疾患に対する外科的解決——これは当時の医学界に革命的に映った。手術後に「落ち着いた」患者たちは「治った」と見なされ、過密な精神病院から退院させることができた。
しかし、静かになった患者たちは本当に「治って」いたのか。
前頭葉は人格・判断力・感情の調節・創造性・意欲の中枢だ。その神経線維を盲目的に切断された患者たちは、「静かに」なったのではなく、「人格を破壊」されたのだった。
6. 犠牲者たちの声
ロボトミーの被害は、ローズマリー・ケネディだけではなかった。
ハワード・ダリー(Howard Dully)は1960年、12歳のときにウォルター・フリーマンによるロボトミーを受けた。継母が彼の「反抗的な態度」を問題視し、フリーマンに相談した結果だった。ダリーは後に「自分は何をされたのか」を生涯かけて調べ、2007年に回顧録『My Lobotomy』を出版した。
「私は自分の一部を盗まれた」——ダリーはそう書いた。
ロボトミーの犠牲者の多くは「同意」していなかった。家族の意向、医師の判断、施設の都合——患者自身の声は省みられなかった。精神疾患を持つ患者の「同意能力」は当初から軽視され、特に女性・子ども・社会的弱者が不当に手術台に乗せられた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1908〜17年 | モニス、ポルトガル国会議員を務める |
| 1917〜19年 | モニス、スペイン大使・パリ講和会議ポルトガル首席代表 |
| 1927年 | モニス、世界初の脳血管撮影に成功 |
| 1935年 | モニス、最初のロボトミーを実施(第1例:63歳女性) |
| 1936年 | フリーマンとワッツ、米国初のロボトミーを実施 |
| 1937年 | フリーマン・ワッツ、標準式ロボトミーを確立 |
| 1941年 | ローズマリー・ケネディ(23歳)、フリーマンの第66番目の手術例に |
| 1946年 | フリーマン、経眼窩的ロボトミー(アイスピック手術)を初めて実施 |
| 1949年 | モニス、ノーベル生理学・医学賞を受賞 |
| 1950年代 | 米国でロボトミーが年間5,000件超に達する |
| 1952年 | クロルプロマジン(世界初の抗精神病薬)が登場 |
| 1967年 | フリーマン、最後のロボトミーを執刀(患者は術後3日で死亡) |
| 1970年代 | 多くの国でロボトミーが禁止・廃止へ |
| 2007年 | ハワード・ダリー、回顧録『My Lobotomy』出版 |
7. 崩壊——クロルプロマジンと良心
ロボトミーを終わらせたのは、倫理的な反省だけではなかった。
1952年、フランスの製薬会社ローヌ・プーランがクロルプロマジン(chlorpromazine)を開発した。統合失調症の陽性症状(幻覚・妄想・興奮)を劇的に改善する世界初の抗精神病薬だ。薬を飲めば「落ち着く」——手術で脳を壊す必要がなくなった。
クロルプロマジンの登場によって、精神科病院の過密が解消され始めた。脱施設化の流れが始まり、「外科的介入なしに管理できる」という前提が崩れた。
同時に、ロボトミーの長期的な影響が明らかになってきた。人格の平坦化・意欲の喪失・判断力の低下・てんかん発作——「治った」と報告されていた患者たちの実態が、追跡調査によって浮かび上がってきた。
1967年、フリーマンは最後のロボトミーを執刀した。患者は術後3日で死亡し、フリーマンは以後すべての病院から手術の権限を剥奪された。
まとめ:「善意」が引き起こした最大の医療過誤
ロボトミーは「悪意」から生まれなかった。
モニスは国会議員・大使・学会代表を歴任したポルトガルの知識人エリートだった。フリーマンは米国の名門大学の教授だった。そしてその時代の医学界は、彼らを英雄として称えた。ノーベル委員会は最高の賞を贈った。
だからこそ、ロボトミーは医学史における最も深刻な教訓を残している。
「効果があるように見える」ことと「本当に治している」ことは、まったく別のことだ。
前頭葉を破壊すれば患者は「静かに」なる。それは治癒ではなく、人格の抹消だ。しかし当時の医師には、それを測る客観的な指標がなかった。「暴れていた患者が落ち着いた」という観察だけが根拠だった。モニスが報告した最初の20例の平均観察期間はわずか4.7週間——長期的に何が起きるかを確認しないまま、手術は世界中に広まった。
現代医学には倫理委員会があり、インフォームドコンセントがあり、長期的な追跡調査がある。これらのすべては、ロボトミーのような過誤を繰り返さないための仕組みだ。
ウォルター・フリーマンは死の直前まで「自分は正しいことをした」と信じ続けたとされる。それが最も恐ろしいことかもしれない。
筆者注
研修医の頃、統合失調症の患者さんに対する修正型電気けいれん療法(m-ECT)の手技を見学する機会があった。
m-ECTでは全身麻酔と筋弛緩薬を使用するため、通電しても全身の筋肉は痙攣しない。しかし術者は「本当に脳が痙攣しているか」を確認する必要がある。そのために通電前に片方の上肢にターニケット(駆血帯)を巻いて加圧し、その腕だけは筋弛緩薬が届かない状態にしておく。
通電後、患者の全身は静かなままだった。筋弛緩薬が効いているからだ。しかし駆血された上肢だけが、細かく痙攣していた。脳で確かに発作が起きていることを、その腕一本が証明していた。
その光景は今も印象に残っている。ロボトミーが葬り去られた後も、電気けいれん療法は形を変えながら生き残り、難治性うつ病などに対して現在も有効な治療として用いられている。同じ「脳への物理的介入」でも、何が残り何が消えたか——医療の歴史の取捨選択の重さを感じる。
参考資料
- 田中雄一郎(2022)「ロボトミーの歴史(3):ロボトミー誕生」『聖マリアンナ医科大学雑誌』50巻, pp. 111–120.
- Valenstein, E.S. (1986). Great and Desperate Cures: The Rise and Decline of Psychosurgery and Other Radical Treatments for Mental Illness. Basic Books.
- El-Hai, J. (2005). The Lobotomist: A Maverick Medical Genius and His Tragic Quest to Rid the World of Mental Illness. Wiley.
- Dully, H. & Fleming, C. (2007). My Lobotomy. Crown Publishers.
⚠️ 免責事項:本記事は医学史・医療史の教育・情報提供を目的としたものであり、特定の疾患の診断・治療・予防を目的とした医療アドバイスではありません。健康上の問題については、必ず医師・医療機関にご相談ください。

