スペインは濡れ衣だった——史上最悪のパンデミック「スペイン風邪」1918年の真実
1918年、第一次世界大戦の最中。一つのインフルエンザが世界を覆い、わずか2年ほどで推定5000万人(諸説あり、1700万〜1億人と幅がある)の命を奪った。
戦争の全戦死者を上回る死者を出したこのパンデミックは、「スペイン風邪(Spanish flu)」と呼ばれる。世界中の教科書にそう載っている。
しかし——この病気は、スペインで生まれたわけではない。スペインは、いわば濡れ衣を着せられた。なぜ無関係の国の名がつけられ、なぜこれほど多くの人が死に、そしてこの100年前の悲劇が、私たちの知る「マスク」や「隔離」の原点になったのか。今回は、史上最悪の感染症の物語をたどる。
1. 「スペイン風邪」は濡れ衣——名前の由来
なぜ「スペイン」風邪なのか。その答えは、病気そのものではなく戦時下の報道統制にある。
1918年、世界は第一次世界大戦のただ中にあった。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどの参戦国は、国民の士気を守るため、感染症の流行を報道で伏せていた。「兵士が病で次々倒れている」などという情報は、敵を利するとして検閲された。
ところがスペインは中立国だった。参戦していないスペインの新聞は、流行を自由に報じた。とりわけ、スペイン国王アルフォンソ13世自身が感染したことが大きく報道された。
その結果、世界の目には「スペインで大流行が起きている」ように映った。実際にはどの国でも流行していたのに、唯一”正直に報じた”スペインが、あたかも発生源であるかのような汚名を着せられたのだ。皮肉なことに、スペインの人々自身はこの病を「フランス風邪」などと呼んでいた。
では本当の発生源はどこか。これは今も確定していない。アメリカ・カンザス州の陸軍基地(1918年3月)、フランスの野営地、あるいは中国など複数の説があるが、少なくともスペインでないことは確かだ。近年は「スペイン風邪」ではなく「1918年インフルエンザ・パンデミック」と呼ぶ動きも広がっている。
2. 三つの波——2波目が最も残酷だった
1918年のパンデミックは、一度で終わらなかった。大きく三つの波で世界を襲った。
第1波(1918年春)は、比較的軽かった。ふつうのインフルエンザに近く、致死率も高くなかった。多くの人は「例年の流行」と受け止めた。
第2波(1918年秋)が、悪夢だった。同年10月をピークとするこの波は、致死率が跳ね上がり、健康な人が発症から数日で命を落とした。ウイルスがより凶悪な型に変異したためと考えられている。世界中の死者の大半は、この数か月に集中している。
第3波(1918年冬〜1919年)も相当の被害を出しつつ、やがて収束していった。
わずか半年ほどの間に、同じ「インフルエンザ」がこれほど姿を変えたこと——それ自体が、当時の医師たちを恐怖させた。手の施しようがなかった。抗生物質もワクチンも存在せず、そもそもインフルエンザの原因がウイルスであることすら、当時は分かっていなかった。
3. 若く健康な人が死ぬ——逆さまの死亡曲線
このパンデミックが特異だったのは、死ぬ人の年齢層だ。
通常のインフルエンザは、抵抗力の弱い乳幼児と高齢者が主に亡くなる。年齢別の死亡率をグラフにすると、両端が高い「U字型」になる。
ところが1918年は違った。乳幼児と高齢者に加えて、20〜40代の、最も健康なはずの若い成人が数多く亡くなった。グラフは真ん中がもう一つ盛り上がる「W字型」になった。働き盛りの、体力のある人々が、バタバタと倒れていったのだ。
なぜ健康な若者が狙われたのか。有力な説の一つが「サイトカインストーム」だ。強い免疫システムがウイルスに過剰反応し、その激しい炎症反応が自分自身の肺を破壊してしまう——皮肉にも、免疫が強い若者ほど致命的になった、という説明だ。一方、高齢者は過去(1889年頃の流行など)に似たウイルスに接した経験があり、部分的な免疫を持っていた可能性も指摘されている。
多くの患者は、ウイルス性肺炎、あるいは抗生物質のない時代の細菌性の二次性肺炎で亡くなった。重症例では肺が体液で満たされ、酸素が回らずに皮膚が青紫色に変色した。文字どおり「自らの肺の中で溺れる」ような最期だった。
4. マスク・休校・集会禁止——近代公衆衛生の原点
ワクチンも特効薬もない中、人々にできたのはウイルスを人から人へ伝わらせないことだけだった。ここで用いられた対策が、現代の私たちにもおなじみのものだ。
マスクの着用、患者の隔離、学校・教会・劇場の閉鎖、公共の集会の禁止——これら「非医薬的介入(NPI)」が、都市ごとに導入された。今でいう「ソーシャルディスタンス」の原型である。
そして、その効果の差を示す有名な対比がある。フィラデルフィアとセントルイスだ。
フィラデルフィアは、流行が始まっているにもかかわらず、1918年9月に戦時国債を売るための大規模パレードを強行した。数十万人が沿道に密集した。その数日後、街は地獄と化し、死者が爆発的に増えた。
一方セントルイスは、早期に学校閉鎖や集会禁止に踏み切り、対策を長く維持した。結果、人口あたりの死者はフィラデルフィアより大幅に低く抑えられた。
「早く、強く、長く」対策をとった都市ほど被害が小さい——この教訓は、約100年後の新型コロナウイルスのパンデミックで、まさに再確認されることになる。また当時のサンフランシスコでは、マスク着用の義務化に反発する「反マスク連盟」まで生まれた。人々の反応もまた、100年後と驚くほど似ていた。
5. ウイルスの正体は90年後に判明——凍土から蘇った1918
1918年当時、インフルエンザの原因は細菌だと考えられていた(「ファイファー菌」が犯人とされた)。ウイルスという概念すら未成熟だったのだ。
インフルエンザがウイルスによることが分かったのは1930年代。しかし1918年に世界を襲った、あの特別に凶悪なウイルスそのものの正体は、長く謎のままだった。
その謎に挑んだのが、病理学者ジェフリー・トーベンバーガーらのチームだ。彼らは、当時保存されていた患者の組織標本や、そして——アラスカの永久凍土に埋葬されていた犠牲者の遺体から、ウイルスの遺伝子を回収しようとした。凍土に眠る遺体からの検体採取は、病理学者ヨハン・ハルティンの執念(1951年と1997年の二度の発掘)に支えられたものだった。
そして2005年、チームは1918年ウイルスの全遺伝子配列の再構築に成功した。よみがえったウイルスは、鳥インフルエンザに由来するH1N1型であることが判明した。90年近い時を経て、史上最悪のパンデミックの犯人は、ついにその顔を明かしたのだ。
さらに驚くべきことに、この1918年ウイルスの「子孫」は、その後の季節性インフルエンザや、2009年の新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)へと連なっていた。1918年は、「すべてのパンデミックの母」とも呼ばれている。
まとめ:100年前の鏡
スペイン風邪——1918年インフルエンザ・パンデミックは、いくつもの「思い込み」を私たちに問い直させる。
発生源でもないスペインが汚名を着せられたのは、戦時下の情報統制の産物だった。健康な若者ほど死んだのは、免疫の”強すぎる”反応ゆえだった可能性がある。そして、マスクや休校といった「地味な対策」こそが、都市の運命を分けた。
抗生物質もワクチンもない時代に、人類は多大な犠牲を払いながら、感染症とどう向き合うかを学んだ。その教訓——早期の、強い、持続的な公衆衛生対策——は、100年後の新型コロナのパンデミックで、私たちがもう一度学び直したものと、ほとんど同じだった。
1918年の物語は、遠い過去の悲劇ではない。それは、感染症と人間社会の関係を映す「鏡」であり続けている。
筆者注
医師としてそれなりに経験を積んだ時期に、100年に一度のパンデミックとまみえることになった。マスクの是非、集会の自粛、休校、「反マスク」の声——1918年の記述には、細部まで既視感がある。ただ、正直に書いておくと、現在は医療の専門領域が細かく分かれている結果、COVID-19の重症例の治療に整形外科医が動員される、という事態はあまりなかった。1918年当時はあらゆる医師が総動員で立ち向かうしかなかったが、現代は呼吸器・感染症・集中治療の専門家が最前線を担ってくれた。その尽力には、ただただ頭が下がる。同じ「パンデミックと向き合う」でも、100年で医療の姿はずいぶん変わったのだと思う。
参考資料
- Barry JM. (2004). The Great Influenza: The Story of the Deadliest Pandemic in History. Viking.
- Taubenberger JK, Morens DM. (2006). “1918 Influenza: the Mother of All Pandemics.” Emerging Infectious Diseases, 12(1), 15–22.
- Hatchett RJ, Mecher CE, Lipsitch M. (2007). “Public health interventions and epidemic intensity during the 1918 influenza pandemic.” PNAS, 104(18), 7582–7587.
- Johnson NPAS, Mueller J. (2002). “Updating the accounts: global mortality of the 1918–1920 ‘Spanish’ influenza pandemic.” Bulletin of the History of Medicine, 76(1), 105–115.
- Tumpey TM, et al. (2005). “Characterization of the Reconstructed 1918 Spanish Influenza Pandemic Virus.” Science, 310(5745), 77–80.
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