幻の第1回ノーベル賞——北里柴三郎、日本細菌学の父が受けた栄光と不遇
2024年、日本の千円札の顔が新しくなった。細菌学者北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)である。
面白いのは、それまで千円札の顔だったのが、北里の弟子筋にあたる野口英世だったことだ。師が弟子の後を継いで、同じ紙幣に納まった——医学史ファンには少しニヤリとさせられる交代劇である。
だが北里柴三郎は、「有名な偉人」という以上の人物だ。彼は日本の細菌学を一から築き、破傷風という病を制圧する道を開き、ペスト菌の発見に関わった。そして——第1回ノーベル生理学・医学賞を、あと一歩で逃した。栄光と不遇が交錯する、この日本近代医学の巨人の物語をたどる。
1. 熊本からコッホのもとへ
北里柴三郎は1853年(嘉永6年)、肥後国(現在の熊本県)に生まれた。
熊本、そして東京で医学を学んだ北里は、1886年、ドイツへ留学する。彼が師事したのは、当時世界の細菌学を切り開いていた巨人、ロベルト・コッホだった。結核菌やコレラ菌を発見し、「細菌学の父」と呼ばれたコッホのもとで、北里はめきめきと頭角を現す。
コッホの研究室には世界中から俊英が集まっていたが、北里はその中でも際立った存在になった。几帳面で粘り強く、実験の腕は抜群。異国の地で、日本人研究者が世界最高峰の細菌学の最前線に立ったのだ。
2. 破傷風菌をねじ伏せる——純粋培養と血清療法
ベルリンで北里が挙げた業績は、目覚ましいものだった。
まず1889年、彼は破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功した。これは並大抵のことではない。破傷風菌は、酸素があると生きられない「嫌気性菌」だからだ。当時の細菌培養は、寒天やゼラチンの上で空気にさらして育てるのが基本で、酸素を確実に取り除く手立てがまだ確立されていなかった。おまけに、傷口から採った検体には酸素を好む雑菌が多数混じっており、それらが先に繁殖して破傷風菌を覆い隠してしまう。「酸素があると死ぬ・雑菌に埋もれる」という二重の壁が、純粋培養を阻んでいた。
北里はこれを二つの工夫で突破した。一つは、培養容器の酸素を追い出し水素ガスで満たして無酸素の環境をつくること。もう一つは、破傷風菌がつくる芽胞(がほう)が熱に強い性質を利用し、検体をいったん加熱して熱に弱い雑菌だけを死滅させ、生き残った破傷風菌の芽胞から純粋な培養を取り出すことだった。発想と技術の合わせ技による勝利だった。
さらに北里は、決定的な一歩を踏み出す。彼は、病気を起こしているのは破傷風菌そのものではなく、菌が出す毒素であることを見抜いた。そして、その毒素をごく少量ずつ動物に注射して生き延びさせると、その動物の血液が毒素を打ち消す力を持つようになることに気づく。決め手となったのは、こんな実験だ——免疫のついた動物の血清(血液から細胞を除いた液体成分)だけを取り出し、それを別の健康な動物に注射する。すると、その動物もまた破傷風の毒素に負けなくなったのだ。つまり免疫の正体は、血液中に生じる「毒素を中和する物質」——今でいう抗体(抗毒素)——であり、それは血清に溶けて他の個体へ移し替えることができる。ならば、この抗毒素を含む血清を注射すれば、病気を防ぎ、治療もできるはずだ。「血清療法」の誕生である。
1890年、北里は同僚のエミール・フォン・ベーリングとともに、破傷風とジフテリアの血清療法(抗毒素)に関する記念碑的な論文を発表した。体内の「免疫」という仕組みを治療に応用する、免疫学の出発点となる仕事だった。
3. 幻の第1回ノーベル賞——共同研究者だけが受賞した
血清療法は、感染症治療に革命をもたらした。この功績は、当然ながら最高の栄誉に値するものだった。
1901年、第1回ノーベル生理学・医学賞が贈られる。受賞理由は、まさに「ジフテリアの血清療法」——北里が切り開いた、あの仕事だった。
ところが、受賞したのはベーリング一人だった。北里の名は、そこになかった。
血清療法の基礎を築き、ベーリングと共同で論文を発表した北里が、なぜ選ばれなかったのか。ジフテリアの研究はベーリング主導だった(破傷風は北里主導だった)といった事情や、当時の欧米中心の空気など、さまざまな見方がある。真相は今も議論の対象だが、「記念すべき第1回のノーベル賞を、共同研究者の日本人が逃した」という事実は、日本の医学史における語り草となっている。もし選ばれていれば、北里は日本人初、いやアジア人初のノーベル賞受賞者になっていたかもしれない。
4. ペスト菌発見レース——なぜ「エルシニア」なのか
1894年、香港でペスト(黒死病)が大流行した。世界を震撼させたこの病の原因を突き止めるため、各国が研究者を送り込んだ。日本からは北里が派遣される。
現地で北里は、患者からペストの病原菌を検出した。ほぼ同じ時期、フランスの研究者アレクサンドル・イェルサンも、独立してペスト菌を発見していた。二人はほぼ同時に、別々に、同じ菌にたどり着いたのだ。
しかし、この発見の”栄誉”はイェルサンのものとなった。北里の初期の報告には、菌の性状の記述にやや曖昧な点があり(別の菌の混入が疑われた)、より正確に同定したのはイェルサンだったとされる。その結果、ペスト菌の学名は、イェルサンにちなんで「エルシニア・ペスティス(Yersinia pestis)」と名づけられた。ここでもまた、北里は”あと一歩”で栄誉を逃した形になった。とはいえ、彼がペスト菌の発見に肉薄した一人であることは間違いない。
5. 福沢諭吉が支えた研究所——そして独立
日本に戻った北里を待っていたのは、意外にも冷遇だった。彼はかつて、当時の東京大学が唱えていた脚気の学説を批判したことがあり、それが尾を引いて、大学に彼の居場所はなかった。
このとき手を差し伸べたのが、福沢諭吉だった。福沢は私財を投じて北里を支援し、1892年、日本初の伝染病研究所が設立される。
ここで一つの糸がつながる。福沢諭吉は若き日、緒方洪庵の適塾で学んだ人物だ。緒方洪庵が育てた福沢が、今度は北里を支える——日本の近代医学が、人から人へ受け継がれていく様が見てとれる。そして北里の伝染病研究所は、後に野口英世ら次世代の研究者が学ぶ場ともなった。
だが試練は続く。1914年、政府は北里に相談なく、伝染病研究所を東京大学の管轄に移してしまう。憤った北里は所長を辞任し、私財を投じて北里研究所を自ら設立した。信念を曲げない、彼らしい身の処し方だった。その後、北里は恩人・福沢の慶應義塾に医学部を創設して初代学部長となり、また日本医師会の初代会長も務めた。日本の医学の基盤を、彼はいくつも築いたのだ。
まとめ:栄誉を逃してなお、礎を築いた人
北里柴三郎の生涯は、「あと一歩」の連続だった。第1回ノーベル賞を逃し、ペスト菌の栄誉も逃した。世界的な栄冠には、あと少しのところで手が届かなかった。
しかし、彼が日本に残したものは計り知れない。破傷風・ジフテリアの血清療法という、感染症治療の新しい原理。日本初の伝染病研究所。北里研究所。慶應義塾大学医学部。日本医師会。彼が種を蒔いたものは、今も日本の医学を支え続けている。「日本細菌学の父」という呼び名は、決して誇張ではない。
華々しい受賞歴という「わかりやすい栄光」は、彼の手からこぼれ落ちた。だが、次の世代を育て、制度を作り、病と闘う土台を築いた——その仕事の重みは、ノーベル賞にまさるとも劣らない。2024年、彼の顔が千円札に選ばれたのは、その静かな偉業に、日本がようやく大きな敬意を示した証なのかもしれない。
筆者注
今回いちばん驚いたのは、実は業績の話ではなかった。北里大学は、北里柴三郎が設立した大学ではない——この事実である。
名前がそのままなのだから、当然本人が創った大学だと思い込んでいた。ところが北里大学の開学は1962年。北里柴三郎が亡くなったのは1931年だから、没後30年以上あとにできた大学である。彼自身が私財を投じて創ったのは「北里研究所」であって、その研究所を母体として、後の世代が大学を設立し、創立者の名を冠したというわけだ。
さらにややこしいことに、北里本人が創設に深く関わった医学部は、慶應義塾大学医学部のほうだ(初代医学部長も務めている)。自分が創った医学部には自分の名が付かず、自分の名を冠した大学は自分の死後にできる——なんとも不思議な巡り合わせだと思う。名前から受ける印象と実際の経緯が食い違う例は、調べてみると案外多いものだ。
参考資料
- 山崎光夫(2003)『北里柴三郎——雷と呼ばれた男』中央公論新社.
- Kitasato S, Behring E. (1890). “Über das Zustandekommen der Diphtherie-Immunität und der Tetanus-Immunität bei Thieren.” Deutsche Medizinische Wochenschrift.
- 北里研究所・北里大学 各資料.
- Bibel DJ, Chen TH. (1976). “Diagnosis of plague: an analysis of the Yersin-Kitasato controversy.” Bacteriological Reviews, 40(3), 633–651.
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