血液が語る「型」——カール・ランドシュタイナーとABO血液型の発見

薬・感染症の歴史

血液が語る「型」——カール・ランドシュタイナーとABO血液型の発見


1900年、ウィーン大学の実験室で、一人の若い病理学者が小さなガラス管を並べていた。

管の中には、二人の人間から採った血液が混ざり合っている。ある組み合わせでは血液は透き通ったまま静かに沈んでいた。だが別の組み合わせでは——血球が無数の塊となって凝集し、まるで砂糖が水に溶けきれず沈殿するように、赤い粒子が管の底に積み重なっていた。

**カール・ランドシュタイナー(Karl Landsteiner)**は、その赤い凝集をじっと見つめた。

この小さな観察が、それまで「運試し」に等しかった輸血を科学に変え、20世紀の外科手術・産科医療・救急医療の基盤を作ることになる。


1. 「なぜ輸血で死ぬのか」——謎の百年

輸血の歴史は、成功と死亡の繰り返しだった。

1818年、イギリスの産科医**ジェームズ・ブランデル(James Blundell)**が人間同士の輸血に初めて成功したとき、医学界は大いに沸いた。産後大出血で瀕死の女性が輸血によって蘇生したのだ。しかしブランデルが以後実施した10件ほどの輸血のうち、生き延びたのは約半数だった。残りは輸血後に悪寒・発熱・血尿を来し、腎不全で死亡した。なぜ助かる患者と死ぬ患者がいるのか——誰にもわからなかった。

「運が良ければ助かる」——19世紀の輸血はそういうものだった。医師たちは経験則として「同じ家族間の輸血は成功しやすい」ことに気づいていたが、その理由を説明できなかった。輸血は「試してみるしかない」博打であり続けた。

ランドシュタイナーが生まれた1868年のウィーンは、ちょうどこの謎が医学の最前線に立ちはだかっていた時代だった。彼は医学を修めた後、有機化学・免疫学・血清学を渡り歩き、ウィーン大学病理学研究所に落ち着いた。「血清の凝集反応」——ある抗体が特定の抗原と結合して塊を作る現象——の研究がちょうど盛んになり始めた時期だった。


2. 1900年の実験——三つのパターン

1900年、ランドシュタイナーは一つの実験を設計した。

やり方はシンプルだった。研究室の同僚5人から血液を採取する。それぞれの血液を**血清(血球を除いた液体成分)**と**赤血球**に分離する。そして「A君の血清」に「B君の赤血球」を加える、「B君の血清」に「C君の赤血球」を加える——あらゆる組み合わせを試し、凝集(血球が塊になる現象)が起きるかどうかを観察する。

結果は鮮明だった。

すべての組み合わせを表に整理すると、三つのグループに分類できることがわかった。

  • **グループA**:A型の血清はB型の赤血球を凝集させる
  • **グループB**:B型の血清はA型の赤血球を凝集させる
  • **グループC**(後のO型):C型の血清は両方を凝集させるが、C型の赤血球は凝集しない

ランドシュタイナーは1900年に短い注記論文を発表し、1901年に「ヒト血液の凝集現象について(Ueber Agglutinationserscheinungen normalen menschlichen Blutes)」として定式化した。**A型・B型・C型(後にO型と改称)**——この三分類が、後のABO式血液型の土台となった。

翌1902年、ランドシュタイナーの同僚**アルフレッド・フォン・デカステロ(Alfred von Decastello)**と**アドリアノ・ストゥルリ(Adriano Sturli)**が、どのグループにも当てはまらない血液の存在を確認した。これが**AB型**だ。こうして現在私たちが知るABO式血液型の四分類が完成した。


3. 発見の意味——輸血死亡の「謎」が解けた

ランドシュタイナーの発見は、輸血死亡の原因を一挙に説明した。

A型の患者にB型の血液を輸血すると何が起こるか。患者の体内にある「抗B抗体」が、輸血された赤血球の表面にあるB抗原を認識し、攻撃・凝集させる。この大量凝集が血管内で起き、腎臓の細い血管を詰まらせ、腎不全・ショックを引き起こす——これが「輸血後の死亡」の正体だった。

逆に同じ血液型同士の輸血では凝集反応は起きない。これが「運良く成功する輸血」の理由だった。

ランドシュタイナーはさらに、各血液型の分布も調べた。

血液型赤血球表面の抗原血清中の抗体
A型A抗原抗B抗体
B型B抗原抗A抗体
O型なし抗A抗体・抗B抗体
AB型A抗原・B抗原なし

O型は赤血球表面に抗原を持たないため、どの血液型の人にも(理論上)輸血できる「万能供血者(universal donor)」とされる。AB型は抗体を持たないため、どの血液型の血液でも(理論上)受け取れる「万能受血者(universal recipient)」だ。ただしこれは赤血球輸血に限った話であり、実際の臨床では白血球抗原や他の血液型抗原も考慮するため、現代では同型輸血が原則となっている。


4. 戦争が加速した輸血医学

ランドシュタイナーの発見は画期的だったが、すぐに普及したわけではなかった。

1901年当時、もう一つの大きな障壁があった。**血液は採血した直後から凝固し始める**という問題だ。血液型を調べて適合した相手を見つけても、保存する方法がなければ、献血者と患者を同時に同じ部屋に連れてこなければならない——これでは大規模な医療応用は不可能だった。

転機となったのが**第一次世界大戦(1914〜1918年)**だった。

塹壕戦が生み出す膨大な出血傷者に直面した軍医たちは、なんとか血液を「保存して運ぶ」方法を必死に探した。1914〜1915年にかけて、クエン酸ナトリウムが血液凝固を防ぐことが発見された。これにより血液を採取・保存・輸送することが可能になり、前線後方に「血液デポ」が設けられた——現代の血液銀行の原型だ。

しかし、第一次世界大戦中でさえ、血液型の照合が徹底されていたわけではなかった。戦場の混乱の中では、血液型を確認せずに輸血が行われ、死亡事故も続いた。血液型判定が輸血の標準手順として定着するには、さらに時間が必要だった。


5. Rh因子の発見——もう一つの革命

ランドシュタイナーの業績はABO血液型にとどまらない。

1930年にノーベル生理学・医学賞を受賞した後(受賞理由は「ヒト血液型の発見」)、70歳を過ぎたランドシュタイナーはニューヨークのロックフェラー研究所でさらなる研究を続けた。

1940年、ランドシュタイナーは**アレクサンダー・ワイナー(Alexander Wiener)**とともに、新たな血液抗原を発見した。アカゲザル(Rhesus monkey)の血液から作った抗体がヒトの赤血球の一部を凝集させることを発見し、**Rh因子(Rh factor)**と命名した。

Rh因子を持つ人が**Rh陽性(Rh+)**、持たない人が**Rh陰性(Rh−)**だ。日本人の約99%はRh陽性で、Rh陰性は約1%にすぎない。欧米では15〜17%がRh陰性のため、臨床的に大きな問題となる。

なお、その後の研究でアカゲザルのRh抗原とヒトのRh抗原は厳密には異なることが判明し、アカゲザルの抗原は現在「LW抗原」と呼ばれている。「Rh」という名称は歴史的慣例として残ったものだ——科学の歴史によくある「名前だけが先行する」例の一つである。

Rh因子の発見が特に重要だったのは、**新生児溶血性疾患(hemolytic disease of the newborn)**の謎を解いたからだ。Rh陰性の母親がRh陽性の胎児を妊娠すると、母親の体内に抗Rh抗体が作られる。第一子では問題が出にくいが、第二子以降の妊娠で母体の抗体が胎盤を越えて胎児の赤血球を破壊し、重篤な黄疸・貧血を起こす——「原因不明だった胎児・新生児の死」が、ついて説明できるようになった。現在ではRh不適合妊娠に対して抗D免疫グロブリン製剤(RhoGAM)を投与することで予防できる。


6. 血液型性格判断——科学と大衆文化の断絶

日本では「血液型で性格がわかる」という考え方が広く浸透している。「A型は几帳面」「B型はマイペース」「O型はおおらか」「AB型は二重人格」——居酒屋から恋愛相談まで、血液型は日常的な話題だ。

この「血液型性格判断」の起源は、1927年に心理学者**古川竹二**が発表した論文に遡る。古川は「血液型と気質の関係」を主張したが、当時の学界から否定され、一時下火になった。それが1970〜80年代に能見正比古の著作によって一般向けに復活・普及し、テレビ・雑誌を通じて日本社会に定着した。

しかし、**血液型と性格に科学的な相関関係はない**。

大規模な統計研究が繰り返し行われたが、血液型と性格特性の間に有意な関連は見つかっていない。むしろ「血液型占い」は**確証バイアス(自分の信じたいことを裏付ける情報だけを集める認知の歪み)**と**バーナム効果(誰にでも当てはまる曖昧な記述を「自分のことだ」と思う傾向)**によって維持されている心理的現象と考えられている。

ランドシュタイナーが発見したABO血液型の違いは、赤血球表面の糖鎖構造の差にすぎない。その違いが脳の神経回路や性格形成に影響を与えるメカニズムは、現時点では一切確認されていない。

「血液型で性格がわかる」という信念は、輸血医学・移植医学において血液型が持つ**真の重大性**を見えにくくする副作用がある。血液型は命に直結する医学的情報だ——それが「占い」の道具になってしまったことは、ランドシュタイナーが知ったら何を思うだろうか。


7. 現代医療における血液型の重要性

ABO血液型とRh因子の発見は、現代医療の至るところに生きている。

**外科手術**では、術前に必ず血液型を同定し、交差試験(クロスマッチ)を行う。患者の血清と輸血予定の血液を実際に混合して凝集反応が起きないことを確認する作業だ。これをスキップして輸血すれば、ABO不適合輸血という致死的事故が起きる。日本でも過去に輸血バッグの取り違えによる死亡事故が複数発生し、複数名での確認・バーコード照合などの安全対策が義務化された。

**臓器移植**でも血液型は基本的な適合条件だ。ABO不適合の臓器を移植すると、レシピエントの体内で激烈な免疫反応が起き、移植臓器が急速に壊死する(超急性拒絶反応)。近年ではABO不適合腎移植が免疫抑制療法の進歩によって可能になってきたが、それでも強力な前処置が必要であり、リスクを伴う。

**妊娠・産科領域**では、Rh不適合妊娠の管理が重要だ。前述の新生児溶血性疾患を予防するため、Rh陰性の妊婦には分娩後28週および出産後に抗D免疫グロブリンを投与する。

**骨髄移植・造血幹細胞移植**では、ドナーとレシピエントの血液型が異なる場合もあり、移植後に患者の血液型がドナーの血液型に変化するという、まるでSFのような事態が実際に起きる。


まとめ:小さな観察が医学を変えた

カール・ランドシュタイナーがガラス管の中の赤い凝集を見つめた瞬間、輸血の歴史は転換点を迎えた。

それまで「なぜ助かり、なぜ死ぬのか」が謎だった輸血が、科学的に制御可能な医療行為になった。1901年の発見から、第一次世界大戦での血液保存技術の確立、第二次世界大戦での血液銀行の整備、そして現代の献血システム・臓器移植・産科医療に至る連鎖は、すべてランドシュタイナーの小さな実験から始まっている。

ランドシュタイナーは1943年、75歳でロックフェラー研究所の実験台の前で倒れ、そのまま逝去した。亡くなる2日前まで実験を続けていたという。

**血液型の発見は、「何かが違う」という観察を「なぜ違うのか」という問いに変え、「どう活かすのか」という実践につなげた——科学の本質的な営みそのものだった。**


**筆者注**

整形外科医として手術室に入るとき、術前準備の中に血液型・交差試験の確認が必ず含まれる。脊椎手術や人工関節置換術では術中出血がそれなりに予想されるから、輸血の準備は欠かせない。クロスマッチをはじめとした実際の検査は臨床検査技師がすべて担ってくれる。医師は電子カルテでオーダーを出すだけだが、その向こうに手作業があると思うと頭が下がる思いである。


*参考資料*

  • Landsteiner, K. (1901). “Ueber Agglutinationserscheinungen normalen menschlichen Blutes.” *Wiener Klinische Wochenschrift*, 14, 1132–1134.
  • Landsteiner, K., & Wiener, A.S. (1940). “An agglutinable factor in human blood recognized by immune sera for rhesus blood.” *Proceedings of the Society for Experimental Biology and Medicine*, 43, 223–224.
  • Mollison, P.L., Engelfriet, C.P., & Contreras, M. (1997). *Blood Transfusion in Clinical Medicine* (10th ed.). Blackwell Science.
  • Watkins, W.M. (2001). “The ABO blood group system: historical background.” *Transfusion Medicine*, 11(4), 243–265.
  • 古川竹二 (1927).「血液型による気質の研究」*心理学研究*, 2(4), 612–634.
  • 日本赤十字社 (2023). 「輸血療法の実施に関する指針」厚生労働省.

⚠️ 免責事項:本記事は医学史・医療史の教育・情報提供を目的としたものであり、特定の疾患の診断・治療・予防を目的とした医療アドバイスではありません。健康上の問題については、必ず医師・医療機関にご相談ください。

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