金、コルチゾン、そして分子標的薬へ——関節リウマチ治療150年の革命
1948年9月21日、メイヨークリニックの病室で、29歳の女性患者が4日ぶりに自分の足で立ち上がった。
数年にわたって関節リウマチに苦しみ、車椅子生活を送っていた彼女に、内科医フィリップ・ヘンチ(Philip Hench)が新しい化合物「Compound E」を注射したのは4日前のことだった。起き上がれなかった患者が歩いた——その映像はメイヨークリニックに記録され、医学史に残る劇的な瞬間となった。
この化合物は後に「コルチゾン」と名づけられた。
1. 「リウマチ」という言葉の起源
病気の名は、しばしばその解釈の歴史を映す。
「リウマチ(rheumatism)」という言葉はギリシャ語の「rheuma(流れる)」に由来し、ヒポクラテスの文書にその原形がある。体内の「悪い液体」が関節に流れ込んで炎症を起こすという液体病理学的解釈が語源だ。ガレノス(129〜216年頃)は「rheumatismus」という語を導入した。
しかし現代医学的な意味での「関節リウマチ(rheumatoid arthritis)」という病名が登場するのは、はるかに後のことだ。
アルフレッド・ギャロッド(Alfred Baring Garrod)は1858年のノートに「Perhaps rheumatoid arthritis would answer the object…」と記し、翌1859年の著書でこの語を正式に提唱した。さらに彼の息子アーチボルド・ギャロッドが1890年の著作でこの術語を広め、英国保健省が公式採用したのが1922年、米国リウマチ学会は1941年に採用した。「関節リウマチ」という概念が医学界で定着するまでに、命名から60年以上を要した。
2. 金は病を癒やすか——1928年の賭け
20世紀初頭、結核の治療に金製剤が使われていた時代があった。金化合物が結核菌の増殖を抑えるという観察が1890年代から報告されており、コッホがin vitroでの結核菌増殖阻害を確認していた。
フランスの内科医ジャック・フォレスティエ(Jacques Forestier)はこの知識を応用した。関節リウマチと結核は「慢性炎症」という点で似ていると考え、1928年頃から金塩をRA患者に投与し始めた。1929年、最初の臨床報告をフランス語論文として発表。1932年には英国医学誌 Lancet でも報告し、国際的に注目された。
金療法(gold therapy)はその後、数十年間にわたって「遅効性抗リウマチ薬」の主流となった。効果が出るまで数ヶ月かかるが、関節破壊を緩やかに抑制する作用が認められた。
問題は副作用だった。皮膚炎、口内炎、腎障害(膜性糸球体腎炎)、血小板減少——副作用の頻度と管理の難しさが、後にメトトレキサートが登場するまでの長い葛藤の源となった。
3. アスピリンの時代——サリチル酸から「奇跡の薬」へ
痛みを和らげるという意味では、もっと古い歴史がある。
1876年、ドイツの医師ストリッカー(Stricker)とライス(Reiss)が独立して、サリチル酸のリウマチ性疾患への有効性を報告した。サリチル酸はヤナギの樹皮から得られる化合物で、解熱・鎮痛の民間薬としてはるかに古い歴史を持つ。
1897年、バイエル社の化学者フェリックス・ホフマン(Felix Hoffmann)がサリチル酸をアセチル化してアセチルサリチル酸を合成し、1899年に「アスピリン」として発売した。より胃にやさしく、より安定した化合物だった。
アスピリンはRAの「痛みと炎症を抑える」薬として長く用いられたが、根本的な疾患修飾作用はない。大量投与による胃腸障害も問題だった。痛みを和らげながら関節が破壊され続けるという現実は変わらなかった。
4. コルチゾンの「奇跡」と幻滅——1948〜1950年代
「奇跡」と呼ばれた出来事が、1948年秋に起きた。
フィリップ・ヘンチは以前から、妊娠中や黄疸の際にRAが自然に寛解する患者を観察していた。体内の何かが炎症を抑えているはずだと考え、副腎皮質ホルモンに注目した。
メイヨークリニックの生化学者エドワード・ケンドール(Edward Kendall)は副腎皮質から複数の化合物を単離しており、「Compound E」と呼ぶ物質を持っていた。ヘンチはケンドールと組み、1948年9月21日に最初の患者への投与を行った。
結果は驚異的だった。
劇的な改善を示した患者の映像は医学界を震撼させ、1950年にヘンチ、ケンドール、そしてスイスの生化学者タデウス・ライヒシュタイン(Tadeus Reichstein)がノーベル生理学・医学賞を受賞した。「Compound E」は「コルチゾン」と命名され、瞬く間に世界中で使われるようになった。
しかし熱狂は長続きしなかった。1950年代に入ると、長期大量使用による深刻な副作用が次々と報告された——骨粗鬆症、高血糖、感染症への脆弱性、クッシング症候群様の外見変化……。「奇跡の薬」は「両刃の剣」へと評価が転じた。
ステロイドは今もRAの治療に使われているが、「できるだけ少なく、できるだけ短く」という原則の下、あくまで補助的な役割に留まっている。
5. メトトレキサート——抗がん剤が「アンカードラッグ」になるまで
1948年、小児がんの研究者シドニー・ファーバー(Sidney Farber)が葉酸拮抗薬アミノプテリンを使って小児白血病の一時寛解に成功した。これが後のメトトレキサート(MTX)の原点だ。
1951年、ガブナー(Gubner)らがアミノプテリンをRA患者に試験的に投与し、7例中6例で改善を確認した。アミノプテリンから改良されたメトトレキサートは、1960年代から乾癬や乾癬性関節炎への有効性が報告され始めた。しかし「抗がん剤」というイメージが障壁となり、FDA承認は1988年まで待たされた。
週1回・低用量投与という使用方法が鍵だった。がん治療に用いる大量投与とは異なり、週1回の少量で長期投与するとRAの炎症を有効に抑制できることが臨床試験で証明された。
現在、MTXは世界中でRAの「アンカードラッグ(anchor drug)」と呼ばれる。有効性・安全性・費用対効果のバランスが優れており、生物学的製剤との併用でも中心的役割を担う。日本では1999年に承認された——米国より約10年遅れた承認は、当時の国内審査制度の問題として語られる。
6. 生物学的製剤の登場——炎症の「犯人分子」を直接狙う
1990年代、リウマチの研究は分子レベルへと深化した。
RA患者の関節で炎症を引き起こす主役の一つがTNF-α(腫瘍壊死因子アルファ)であることが明らかになり、これを標的にする薬の開発が始まった。
1998年11月2日、米国FDAはエタネルセプト(Enbrel)をRAに対して承認した——史上初の「生物学的製剤」によるRA治療薬の承認だ。翌1999年にはTNF-α抗体のインフリキシマブ(Remicade)がRA(MTXとの併用)に承認された。
生物学的製剤の登場は、RAの治療目標そのものを変えた。「痛みを和らげる」から「炎症を止め、関節破壊をゼロにする」——「寛解(remission)」を現実の目標として設定できるようになった。
日本では2003年にインフリキシマブ、2005年にエタネルセプトが承認され、日本のリウマチ治療は急速に変わった。
7. JAK阻害薬——飲み薬で「細胞内シグナル」を止める
生物学的製剤は注射薬だった。次の革新は「経口薬」で同等の効果を得ることだった。
2012年11月、FDAはトファシチニブ(Xeljanz)をRAに承認した。JAK(ヤヌスキナーゼ)という細胞内シグナル伝達分子を阻害し、炎症性サイトカインの産生を抑える。注射が不要な経口薬でありながら、生物学的製剤に匹敵する効果を持つ——JAK阻害薬の登場は、RA治療の「飲み薬革命」として位置づけられる。
現在、複数のJAK阻害薬が承認されており、RA治療の選択肢は格段に広がっている。
まとめ:150年で変わった「目標」
1876年のサリチル酸から、2012年のJAK阻害薬まで——約150年。
治療の目標が変わった。かつては「痛みを和らげ、できるだけ動けるようにする」ことが目標だった。今は「寛解を達成し、関節破壊を止める」ことが標準的な目標だ。
金製剤は結核治療からの類推で使われた。コルチゾンは体内の自然寛解を模倣しようとした。MTXは抗がん剤の偶然の転用だった。生物学的製剤はじめて「原因分子」を直接標的にした。
RAの歴史は、偶然の発見と、炎症メカニズムの解明と、製薬産業の発展が複雑に絡み合った歴史でもある。
筆者注
生物学的製剤が登場する前後で患者さんの状態が劇的に変わったことを実感している。以前は手の関節が変形して日常動作が困難になった患者さんを多く見ていたが、近年は早期からの積極的な治療で関節破壊が抑制され、手術が必要になるケースが大幅に減った。
メトトレキサートが日本で承認されたのが1999年——米国より11年遅れたことは悔しい話だ。その10年間、日本のRA患者は世界標準治療から取り残されていたことになる。薬の国内承認の遅れという問題は、RA治療史の中でも忘れてはならない一章だと思っている。
この記事を執筆するにあたり、一つ自分の知識の誤りに気づいた。メトトレキサートのRAへの転用について、研修医の頃に先輩から「MTXはもともと胃がんに使用されており、胃がん患者の中にRAを合併している人がいて、その患者でRAの症状が劇的に改善したのが転用のきっかけだ」と教わっていた。しかしこれは事実ではなかった。実際にはMTXの前身であるアミノプテリンは1948年に小児白血病に使用され、その後「結合組織の増殖を阻害する」という薬理作用から、1951年にGubnerらが仮説に基づいてRA患者に直接投与を試みたのが転用の始まりだ。偶然の発見ではなく、合理的な仮説からの転用だった。医学の知識は口伝で伝わる部分も多く、こうした「伝言ゲーム的な誤り」が現場に残っていることがある。
コルチゾンのエピソードは医学教育でも語られるが、「奇跡」から「副作用」への急転直下のプロセスは今も示唆的だ。ステロイドの使い方——どのような患者に、どれだけの期間、何mgを使うか——は今でも議論が続く。適切な使用には常に慎重な判断を要する。
参考資料
- Garrod AB. (1859). *A Treatise on Nature of Gout and Rheumatic Gout*. Walton and Maberly, London.
- Forestier J. (1929). “L’Aurothérapie dans les rhumatismes chroniques.” *Bulletins et mémoires de la Société Médicale des Hôpitaux de Paris*, 46, 323–327.
- Hench PS, Kendall EC, et al. (1949). “The effect of a hormone of the adrenal cortex (17-hydroxy-11-dehydrocorticosterone: compound E) and of pituitary adrenocorticotropic hormone on rheumatoid arthritis.” *Proceedings of the Staff Meetings of the Mayo Clinic*, 24(8), 181–197.
- Nobel Prize (1950). “The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1950.” NobelPrize.org.
- Gubner R, August S, Ginsberg V. (1951). “Therapeutic suppression of tissue reactivity.” *American Journal of Medical Sciences*, 221, 176–182.
- Weinblatt ME, et al. (1985). “Efficacy of low-dose methotrexate in rheumatoid arthritis.” *New England Journal of Medicine*, 312(13), 818–822.
- FDA. (1998). “Approval of Etanercept (Enbrel) for rheumatoid arthritis.” November 2, 1998.
- FDA. (1999). “Approval of Infliximab (Remicade) for rheumatoid arthritis.” November 10, 1999.
- FDA. (2012). “Approval of Tofacitinib (Xeljanz) for rheumatoid arthritis.” November 6, 2012.
- Myasoedova E, et al. (2010). “Is the incidence of rheumatoid arthritis rising?: Results from Olmsted County, Minnesota, 1955-2007.” *Arthritis & Rheumatism*, 62(6), 1576–1582.
- 日本リウマチ学会 (2024). 「メトトレキサートについて」. ryumachi-jp.com
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