骨髄を贈る——骨髄移植が「不可能」から標準治療になるまで
1968年8月、ミネソタ大学病院の処置室。
生後5か月の男児は、免疫系をほぼ持たずに生まれていた。X連鎖重症複合免疫不全症(SCID)——ウイルスも細菌も撃退できない身体で、生きていくことはほぼ不可能だった。
ロバート・グッド(Robert A. Good)率いるチームが選んだのは、8歳の姉の骨髄を移植することだった。HLAが一致している——それだけを根拠にした、前例のない賭けだった。
免疫系を持たない赤ちゃんに、他人の骨髄を入れたら何が起きるか。誰も知らなかった。
1. なぜ「骨髄」なのか——造血の仕組みと移植の発想
赤血球、白血球、血小板——すべての血液細胞は、骨の中にある造血幹細胞から作られる。骨髄移植とは、この造血の「種」ごと移し替える行為だ。
「骨髄が血液の源である」という知識は19世紀後半には確立していたが、それを「移植できる」と考えた者はほとんどいなかった。
発想の転換をもたらしたのは、皮肉にも戦争だった。1945年の広島・長崎、そして核実験被曝者の観察から、大量放射線が骨髄を破壊して致死的な造血不全を引き起こすことが明らかになった。「骨髄を放射線で破壊した動物に、正常な骨髄を注入すると生き延びる」——マウスを使ったこの動物実験が、骨髄移植という概念を生み出した。
2. トーマスの「双子実験」——1956〜1957年
E・ドナル・トーマス(E. Donnall Thomas)は、ニューヨーク州クーパーズタウンのメアリー・バセット病院で、白血病患者への骨髄移植を試みていた。
1956年、トーマスは一卵性双生児の兄弟間で骨髄を移植した(同系移植)。放射線で患者の骨髄を破壊した後、双子の兄弟から採取した骨髄を静脈注射する——シンプルな発想だったが、達成したのは一時的な生着だけだった。翌1957年に New England Journal of Medicine に発表された論文は、「技術は可能だ」という概念実証だった。
トーマスは以後20年以上をかけて、骨髄移植を臨床的に機能させるための壁——拒絶反応、重篤な合併症、感染症——と格闘し続けた。その集大成として、1990年のノーベル生理学・医学賞を受賞した(腎移植のジョセフ・マレーと共同受賞)。
3. HLAの発見——「適合する」とはどういうことか
骨髄移植を成立させるためには、「適合するドナー」を見つける科学が必要だった。
ジャン・ドーセット(Jean Dausset)は1950年代末、輸血を繰り返した患者の血液中に、白血球に対する抗体が生じることを観察した。1958年、彼は最初のヒト白血球抗原(HLA)を同定した。HLAは細胞表面の「身分証明書」であり、免疫系が「自己」か「非自己」かを見分けるための分子だ。
ドーセットは1980年のノーベル生理学・医学賞を、バルジュ・ベナセラフ、ジョージ・スネルと共同で受賞した。HLAの発見は、移植医学全体の基盤となる科学的革命だった。
HLAが一致するほど、移植片が生着しやすく、拒絶や重篤な合併症のリスクが下がる——このことが分かったことで、「誰から誰への移植が可能か」という選択基準が生まれた。
4. 初の成功——1968年、SCIDの赤ちゃん
冒頭の場面に戻る。1968年8月のミネソタ大学病院。
ロバート・グッドのチームが行ったHLA一致同胞間の骨髄移植は成功した。骨髄が生着し、免疫系が再建された。生後5か月で免疫系を持たなかった男児は、その後も生存した——これが医療記録に残る、初の同種骨髄移植の成功例だ。
同年、欧州でも複数のグループが類似の移植を試みており、この時期が同種移植の夜明けだった。しかしSCIDのような「免疫系がゼロ」の患者への移植と、白血病患者への移植では、克服すべき壁がまったく異なっていた。
5. 最大の敵——移植片対宿主病(GVHD)
白血病患者への骨髄移植が難しい最大の理由は、移植片対宿主病(Graft-versus-Host Disease:GVHD)だ。
ドナーの骨髄に含まれる免疫細胞(T細胞)が、患者(宿主)の組織を「非自己」と認識して攻撃する——皮膚、消化管、肝臓が標的になり、重篤な場合は命に関わる。移植が成功しても、GVHDで死亡するというジレンマが、移植医療の最大の壁だった。
1970〜80年代を通じて、メトトレキサートやシクロスポリンを用いたGVHD予防療法が開発され、移植後の生存率が飛躍的に改善した。シクロスポリンの導入(1970年代後半〜80年代)は特に大きな転換点だった。
6. GVLという発見——「敵が味方になる」逆説
しかし、GVHDには意外な側面があった。
1979年、Weidenらは New England Journal of Medicine で、GVHDを発症した患者のほうが白血病の再発率が低いことを報告した。ドナーのT細胞が宿主組織を攻撃するのと同じメカニズムが、残存する白血病細胞をも攻撃していたのだ。これが移植片対白血病(Graft-versus-Leukemia:GVL)効果の発見だった。
1990年には、Kolbらがドナーリンパ球輸注(DLI)——ドナーの免疫細胞を追加注入する方法——によって移植後に再発した白血病患者を寛解に導くことを示し、GVL効果の治療的応用が確立した。
「移植の目的は骨髄を生着させることではなく、免疫系ごと入れ替えて白血病を根絶することだ」——GVL効果の発見は、骨髄移植の意味を根本から書き換えた。
7. 骨髄バンクの誕生——ドナーを探す仕組み
HLA一致の兄弟姉妹がいない患者はどうするか。非血縁ドナーとのHLAマッチングが解決策だが、世界中から「適合するドナー」を探す仕組みが必要だった。
全米骨髄ドナープログラム(NMDP)は1986年7月に設立され、1987年12月に最初の非血縁者間移植を成立させた。その後「Be The Match」として発展し、現在は世界最大の造血幹細胞ドナー登録機関になっている。
日本では1991年12月に日本骨髄バンク(JMDP)が設立された。初の非血縁者間骨髄移植が実施されたのは1993年のことだ。骨髄バンクの普及により、HLA一致兄弟姉妹がいない患者にも移植の扉が開かれた。
8. 臍帯血移植と末梢血幹細胞移植——新しい「幹細胞の源」
骨髄以外から造血幹細胞を得る方法も開発された。
臍帯血(さいたいけつ)移植の最初の成功例は1988年10月6日、パリのサンルイ病院でエリアン・グルックマン(Eliane Gluckman)が行った移植だ。ファンコニ貧血の5歳の男児に、HLA一致の新生児の臍帯から採取した血液を移植した。臍帯血にはHLA不一致への許容度が高いという特性があり、ドナー不足を補う重要な幹細胞源となった。
末梢血幹細胞移植(PBSCT)は1990年代に確立した。G-CSF(顆粒球コロニー刺激因子)を投与すると、骨髄中の造血幹細胞が血液中に「動員」される——この現象を利用して、骨髄穿刺なしにアフェレーシスで幹細胞を採取できるようになった。骨髄採取より侵襲が少なく、回収できる幹細胞数が多いため、現在では同種・自家移植ともに広く用いられている。
9. ミニ移植——「老いても移植できる」時代へ
従来の骨髄移植は「骨髄破壊的前処置」——大量化学療法・放射線照射で患者の造血系を完全に破壊してからドナーの骨髄を入れる——が前提だった。この前処置の毒性は大きく、高齢者や臓器機能が低下した患者には適用困難だった。
1990年代後半、骨髄非破壊的移植(ミニ移植・RIC移植)が開発された。前処置を軽減し、GVL効果でがん細胞を根絶する戦略に重心を移すことで、60〜70代の患者にも移植の適応が広がった。
まとめ:70年で「不可能」は「日常」になった
トーマスの双子移植から今日まで——約70年。
骨髄移植は、「放射線被曝マウスの延命実験」から始まり、GVHD・拒絶反応・ドナー不足という三重の壁を越えて、白血病・再生不良性貧血・免疫不全の標準治療となった。日本では毎年3,000件超の造血幹細胞移植が行われている。
「他人の骨髄を体に入れる」という行為は、免疫学・移植医学・血液腫瘍学の三つの分野が交差する地点で生まれた。その歴史は、科学的発見と臨床的失敗の繰り返しが、やがて一人の患者を救う医療へと結実する過程そのものだ。
⚠️ 免責事項:本記事は医学史・医療史の教育・情報提供を目的としたものであり、特定の治療法・薬剤・医療行為を推奨するものではありません。個別の医療上の判断については、必ず担当の医療機関にご相談ください。
筆者注
整形外科医として、骨髄に直接触れる機会がある。骨折手術の際に髄内釘を挿入するとき、あるいは骨盤や大腿骨の生検を行うとき——その骨の内部に、患者の造血機能のすべてが宿っている。
血液疾患の患者が骨髄移植後に整形外科を受診することがある。免疫抑制剤の長期使用による大腿骨頭壊死、ステロイドによる骨粗鬆症——移植が成功して生き延びた代償として、骨が蝕まれることがある。移植医療の恩恵と、その後を生きることの難しさを、整形外科の外来で静かに受け取る。
骨髄バンクへのドナー登録は、採血と書類の提出だけで完了する。しかし実際にドナー候補として呼ばれ、最終的に骨髄採取や末梢血幹細胞採取に進む段階になると、ドナー本人の身体的・心理的負担は決して小さくない。「登録したこと」と「提供すること」の間にある距離を、医療者は正確に伝える責任があると思っている。
GVL効果——「ドナーの免疫細胞が白血病を倒す」——という概念は、今でも医学のロマンを感じさせる。人の免疫系が別の人の中で働き、がんを根絶する。移植医学はここまで来た、という驚きが、この分野を学ぶたびに新鮮に蘇る。
参考資料
- Thomas ED, et al. (1957). “Intravenous infusion of bone marrow in patients receiving radiation and chemotherapy.” New England Journal of Medicine, 257(11), 491–496.
- Gatti RA, et al. (1968). “Immunological reconstitution of sex-linked lymphopenic immunological deficiency.” Lancet, 292(7583), 1366–1369.
- Dausset J. (1958). “Iso-leuco-anticorps.” Acta Haematologica, 20(1-4), 156–166.
- Nobel Prize (1980). “The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1980.” NobelPrize.org.
- Nobel Prize (1990). “The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1990.” NobelPrize.org.
- Weiden PL, et al. (1979). “Antileukemic effect of graft-versus-host disease in human recipients of allogeneic-marrow grafts.” New England Journal of Medicine, 300(19), 1068–1073.
- Kolb HJ, et al. (1990). “Donor leukocyte transfusions for treatment of recurrent chronic myelogenous leukemia in marrow transplant patients.” Blood, 76(12), 2462–2465.
- Gluckman E, et al. (1989). “Hematopoietic reconstitution in a patient with Fanconi’s anemia by means of umbilical-cord blood from an HLA-identical sibling.” New England Journal of Medicine, 321(17), 1174–1178.
- NMDP. “Our History.” network.nmdp.org.
- 日本骨髄バンク (2024). 「骨髄バンクの歴史」. jmdp.or.jp.

