抵抗器を取り違えた日——ペースメーカーは「失敗」から生まれた
1956年、ニューヨーク州バッファロー。
エンジニアのウィルソン・グレイトバッチ(Wilson Greatbatch)は、心拍のリズムを記録する装置を作っていた。部品箱に手を伸ばし、抵抗器を一つ取り出して回路に組み込む。
ところが、彼が掴んだのは間違った抵抗器だった。本来使うべき値の約1000倍——1メガオーム(MΩ)の抵抗器を、誤って組み込んでしまったのだ。
すると回路は、予期しない動きを見せた。一定の間隔で、規則正しく電気パルスを発し始めたのだ。「ドッ……ドッ……ドッ」——それは、まるで心臓の鼓動のようだった。
グレイトバッチは、そのパルスを見つめながら気づいた。「これは……心臓を動かせるのではないか」。
医学史に残る「幸運な失敗(セレンディピティ)」の瞬間だった。
1. 心臓が「止まる」病——ペースメーカーが必要な理由
なぜ心臓に電気が必要なのか。
心臓は、自前の電気系統を持っている。右心房にある「洞結節」が規則的に電気信号を発し、それが心臓全体に伝わって、心筋が収縮する。この電気の流れが心臓の拍動を生んでいる。心臓の電気活動を体表から記録する技術が心電図であり、20世紀初頭に確立した。
ところが、この電気系統が壊れることがある。信号の伝わる道(伝導路)が断たれる「完全房室ブロック」では、心房の信号が心室に届かなくなり、心拍が極端に遅くなる。脳に血液が回らず、失神し、最悪の場合は突然死に至る。
薬では限界があった。「ならば、外から電気を送って心臓を動かせばいい」——その発想が、ペースメーカーの出発点だった。
2. 体の外から電気を送る——ハイマンとゾルの先駆
ペースメーカーの歴史は、グレイトバッチよりずっと前に始まっている。
1932年、アメリカの医師アルバート・ハイマン(Albert Hyman)は、ぜんまい仕掛けの手回し式装置で心臓に電気刺激を与える機械を作り、「人工ペースメーカー(artificial pacemaker)」という言葉を生み出した。
1952年には、ポール・ゾル(Paul Zoll)が体表から電気を送る経皮的ペースメーカーの有効性を示した。心停止状態の患者の胸に電極を当て、外部から電気で心臓を動かすことに成功したのだ。だがこの装置は、家庭用電源(交流100V級)で駆動する大型のもので、しかも皮膚の上から強い電流を流すため、患者は激しい痛みに耐えなければならなかった。
「動かせる」ことは証明された。だが「安全で実用的」にはほど遠かった。
3. 停電が生んだ装置——バッケンとメドトロニック
次の転機は、一夜の停電だった。
1957年10月31日、ハロウィンの夜。アメリカ・ミネアポリス一帯が大規模な停電に見舞われた。外科医C・ウォルトン・リレハイが手がけていた小児患者は、コンセントに繋いだ電源式ペースメーカーに命を預けていた。停電で電源が落ち、その子は亡くなった。
この悲劇に衝撃を受けたリレハイは、知り合いの電気技師に「電池で動く、停電に左右されない装置」を依頼した。それが、後に世界的な医療機器企業メドトロニックを創業するアール・バッケン(Earl Bakken)だった。
バッケンはわずか数週間で、トランジスタを使った電池駆動の装着式(ウェアラブル)外部ペースメーカーを完成させた。コンセント不要で、患者が身につけて持ち運べる——画期的な小型化だった。だがこれもまだ、電線を体内に通す「体外式」だった。
4. 体の中へ——1958年、スウェーデンの完全埋め込み型
そして、ついに装置が体内に収められる日が来る。
1958年10月8日、スウェーデン。エンジニアのルネ・エルムクヴィスト(Rune Elmqvist)が設計し、外科医オーケ・セニング(Åke Senning)が、世界初の完全埋め込み型ペースメーカーを患者の体内に植え込んだ。患者の名はアルネ・ラーション(Arne Larsson)。重い房室ブロックで、一日に何十回も失神を繰り返していた42歳の男性だった。
ただし、この最初の装置は数時間で故障した。すぐに2台目が植え込まれた。技術的にはまだ未熟で、これは「耐久性」ではなく「世界初」という優先権の金字塔だった。本当に実用的な埋め込み型は、もう少し先になる。
5. 実用化——チャーダック=グレイトバッチ・ペースメーカー
冒頭のグレイトバッチに話を戻そう。
「間違った抵抗器」から着想を得た彼は、心臓を刺激する小型の埋め込み型装置の開発に没頭した。そして外科医ウィリアム・チャーダック(William Chardack)、アンドリュー・ゲイジと組み、1960年、バッファローで埋め込み型ペースメーカーのヒトへの植え込みに成功した。
この「チャーダック=グレイトバッチ・ペースメーカー」は、信頼性が高く再現性のある最初の実用的な埋め込み型ペースメーカーとなった。スウェーデンの「世界初」が priority の金字塔だったのに対し、こちらは「埋め込み型ペースメーカーを日常診療の選択肢にした」装置だった。
6. 最後の壁は「電池」——リチウム電池革命
実用化されても、大きな問題が残っていた。電池の寿命だ。
初期の埋め込み型ペースメーカーは水銀亜鉛電池を使っており、寿命はわずか1〜2年。電池が切れるたびに、患者は再手術で装置を入れ替えなければならなかった。
この問題を解決したのも、やはりグレイトバッチだった。彼は1970年に自らの会社を興し、ヨウ化リチウム電池を開発・実用化した(1972年頃)。この電池は寿命が約10年と飛躍的に長く、密閉性にも優れていた。ヨウ化リチウム電池はその後、ペースメーカー電池の世界標準となり、再手術の頻度を劇的に減らした。
「間違った抵抗器」から始まったグレイトバッチの探究は、装置だけでなく、それを動かす電源まで作り変えたのだった。
7. 患者が証明した——26台のペースメーカーと86年の生涯
ここで、最初の患者アルネ・ラーションに戻りたい。
1958年に世界初の埋め込み型ペースメーカーを受けた彼は、その後の生涯で約26台ものペースメーカーを交換しながら生き続けた。技術の進歩を、自らの胸で受け止め続けたのだ。
そしてラーションは2001年、86歳で亡くなった。死因はメラノーマ(悪性黒色腫)で、心臓とは無関係だった。
特筆すべきは、彼が装置を設計したエルムクヴィストよりも、手術を執刀したセニングよりも長生きしたことだ。1958年に「あと数年生きられるか」と思われた患者が、発明者と外科医の両方を見送った——ペースメーカーという技術が成し遂げたことを、これほど雄弁に物語る事実はない。
まとめ:ペースメーカーに「単独の発明者」はいない
間違った抵抗器から今日まで——約70年。
ペースメーカーの歴史を振り返ると、「一人の天才が発明した」という物語では語れないことが分かる。ハイマンが概念を作り、ゾルが体外刺激を実証し、バッケンが電池駆動で携帯可能にし、エルムクヴィストとセニングが体内に収め、チャーダックとグレイトバッチが実用化し、そしてグレイトバッチが電池で寿命を延ばした。
それぞれが前の世代の壁を一つずつ越えていった、リレー走のような歴史だ。そしてその起点の一つが、「抵抗器を取り違える」という、ありふれた失敗だった。失敗を見逃さず「これは使える」と気づいた目こそが、医学を前に進めたのだ。
⚠️ 免責事項:本記事は医学史・医療史の教育・情報提供を目的としたものであり、特定の治療法・薬剤・医療行為を推奨するものではありません。個別の医療上の判断については、必ず担当の医療機関にご相談ください。
筆者注
整形外科医にとって、ペースメーカー装着患者の手術は日常的に気をつかう場面だ。
最も注意するのが電気メス(電気凝固)だ。手術中に使う電気メスの電流がペースメーカーに干渉し、誤作動を起こす可能性がある。そのため術前に循環器内科と連携し、必要に応じてペースメーカーの設定を変更したり、バイポーラ(双極)の電気メスを使ったりと対策を講じる。心臓を動かす精密な電子機器が体内にあるという前提を、常に頭に置いておく必要がある。
近年はMRI対応ペースメーカーが普及してきた。かつてはペースメーカー装着患者にMRIは禁忌だったが、整形外科ではMRIが診断の要であるため、これは大きな進歩だ。それでも条件付きの場合が多く、撮影前の確認は欠かせない。
「間違った抵抗器」の逸話は、工学と医学のセレンディピティの代表例としてよく語られる。ただ、本当に重要なのは「間違いが起きたこと」ではなく、「その異常な挙動を見て、心臓に応用できると気づいたこと」だと思う。同じ現象を見ても、ほとんどの人は「故障だ」と捨ててしまう。準備された心にだけ、偶然は微笑む——というパスツールの言葉を思い出す。
そして、最初の患者アルネ・ラーションが発明者と外科医の両方より長生きしたという事実は、医療者として静かな感動を覚える。技術に命を救われた一人の患者が、その技術を作った人々の生涯を見届けた。医学の進歩とは、突き詰めればこういうことなのだと思う。
参考資料
- Greatbatch W, Chardack WM. (1960). “A transistorized, self-contained, implantable pacemaker for the long-term correction of complete heart block.” Surgery, 48, 643–654.
- Zoll PM. (1952). “Resuscitation of the heart in ventricular standstill by external electric stimulation.” New England Journal of Medicine, 247(20), 768–771.
- Elmqvist R, Senning Å. (1960). “An implantable pacemaker for the heart.” In Medical Electronics (ed. Smyth CN). Iliffe & Sons, London.
- Aquilina O. (2006). “A brief history of cardiac pacing.” Images in Paediatric Cardiology, 8(2), 17–81. PMC2572009.
- Nelson GD. (1993). “A brief history of cardiac pacing.” Texas Heart Institute Journal, 20(1), 12–18.
- Greatbatch W. (2000). The Making of the Pacemaker: Celebrating a Lifesaving Invention. Prometheus Books.
- IEEE Spectrum. “Remembering Earl Bakken, Inventor of the First Wearable, Battery-Powered Pacemaker.”
- Larsson B, et al. (2003). “Lessons from the first patient with an implanted pacemaker: 1958–2001.” Pacing and Clinical Electrophysiology, 26(1p1), 114–124.

